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ラーメン&つけ麺食べ歩き
麺食堂X
(東京都 葛飾区)

店名 手延つけ麺 麺食堂X(めんしょくどうえっくす)
住所等 東京都葛飾区東立石2-1-1 【地図表示】
禁煙 タバコ完全禁煙
訪問日 2007年12月上旬 醤油つけ麺 800円 
           塩汁麺 800円 


~麺食堂エックス その1~



お店に到着しました。
左手の街道は「平和橋通り」。






京成押上線の「京成立石駅」から徒歩10分ほど。
白いノレンと赤提灯が目印。






三方向のガラスから陽光が差し込む明るい店内。
メタリック感のあるカウンター席。






卓上のメニューです。
「醤油つけ麺」と「塩汁麺」を頂きました。

「ちょっと大盛」と言えば、同額のまま麺を50gほど増量可との事。
なお「大盛りは100円増で200g増」との事。






ガラスに囲われた麺打ち台。
ドバッシン!・・・・ビッダーン!・・・・と豪快に台に打ち付け、
クルクル、クルクルと丁寧に「撚り」(より)を入れ、
ググーーーッと長~く「手延べ」。

まさしく「食の芸術大賞」・・・・これぞ本当の拉(ラー)麺。










2007年12月上旬 醤油つけ麺 800円
(この写真はクリックで拡大します)



ツルツル、ハグハグ・・・・・。

・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。


「~~~~~~~~~~ ンまあーいっ!」

「ゥンまああ~いっ!!」


「これはああ~~~っ この麺わあぁ~~っ」

「こっ!こんなうまい麺!
おれ生まれてこのカタ・・・喰ったことが!
ねーーぜぇーーッ!!」

「グレートですよ!こいつはァ!」
((((゜口゜;))))

(表現参考:「ジョジョの奇妙な冒険」より)









つけ汁は主に「豚骨とガーリック」のコラボ。
手打ち麺には「鶏ガラ醤油」・・・と言う保守的な世界に一石を投じた感じ・・・。
醤油風味は控えめなものの、麺への絡みや相性も良好です。






この驚くべき「伸展性」と「弾力性」・・・・。
収穫直後の「新小麦」のようなスーパーフレッシュネス・・・・。
使われている「小麦粉の旨さ」は特筆に価する。

よほど超新鮮&極上質の小麦粉を使っているのでしょう。
結局、小麦も「野菜」なんだなあ・・・と改めて理解。






光輝く「潤いヴェール」に包まれた・・・生まれたての艶やかな「美白肌」。
すすり心地はとにかく徹底して「滑らか」、まさに「極上のビロード」のような舌触り。
その触感は、まるで赤ちゃんの幼い手の平のように・・・・
とてつもなく「ナイーブ」、うっとりするほどに「コケティッシュ」。






引き延ばされた「拉(ラー)麺」に独特のシームレスな長さ。
流体力学的な麺の流麗な「動き」と、
上質小麦の馥郁たる香りと旨味の素晴らしさに「絶句・・・」。

この麺を食べると・・・・「小麦」が全人類の「主食No.1」の座に
有史以来、ずっと君臨している「理由」をつくづく思い知る。






「つけ汁」に浸けて引き上げたところ。
あまり麺が汁の色で着色する様子はないものの、
非常に麺と汁の一体感があり、相性良好。






スープ割の図。
「豚骨」と「香味野菜」をマージした風味を持つスープ。
舌を柔らかく包み込むような美味しさ。




2007年12月上旬 醤油つけ麺 800円 

2007年4月新規オープン、都内でも非常に希少な「手延べ麺」を出す名店。
こちらの店主氏は2006年に惜しまれつつ閉店してしまった「餓王」(港区)ご出身とのことだが、その「餓王」の店主氏は「馬賊」で修行したらしい。そう言う意味では「馬賊」の流れを汲むお店となる訳で・・・・「馬賊」の手のべ麺が大好きな私としては、いやが上にも期待値が高まっての訪問となった。

店内はカウンター8席程で、その左端にガラスで囲われた麺打ち台があり、外の歩道からも麺打ちの様子が見える演出になっている。
注文をお願いすると、さっそく店主氏が麺を打ち始めてくれた。メニューによれば、「ご注文頂いてから麺を打ちます・・・」旨が書かれている。超多加水の手延べ麺は非常に乾燥に弱く、「打ち立て」&「茹で立て」である事が美味しく頂く上で「必須」なので、これは大変嬉しい「宣言」である。

そして、店主氏が手延べ麺を打つ様子を見ていて、すぐに「うーん・・・・これはかなり期待できるな・・・・」と直感した。
なぜなら・・・・とにかく非常に念入りに麺帯を「撚(よ)り込んでいる」のだ。ねじって、回し、またねじって、良く回す・・・・クルクル、クルクルと、この「ねじり合わせる」動作こそが、実は「手延べ」の命なのである。

言うまでもなく小麦を使った麺の食感の「命」は「グルテン組成」だ。
そのグルテンの組成を顕微鏡レベルで見ると・・・・「機械製麺」の場合は麺塊をロールで「一方向」にのみ延ばすだけで終わってしまうため、グルテンの編み目の構造は極めて「シンプル」であると言う。これが、麺棒を使った「手打ち」の場合は麺帯を90度ずつ回しながら「十字型」に薄く延ばして行くため、より複雑な「格子状」にグルテンが組成されてゆく。
そして、「手延べ」の場合は・・・・クルクル回転をかけながら延ばす事で、ちょうど登山ロープのような「スパイラル状」の「螺旋」(らせん)構造のグルテンが形成される。

どの構造が「最も強い構造」かは・・・・これはもう小学生でも判ることだろう。
つまり、「手延べ麺」と「その他の麺」の違い・・・・を明確に峻別する最大のポイント、「手延べ」の美味しさの奥義は、ズバリ「撚り」(糸状にねじること)によって生まれるのだ。
さらに、手延べは包丁や切り刃などで切断しないままで長い一本の麺となるため、せっかく形成されたグルテンが短く切断されず、結果として、なかなかダレないコシを持ち、簡単にノビない理想的な麺が出来上がるのである。
ちなみに、中国では、引き延ばす事を拉(ラー)と言い、これが拉(ラー)麺の語源だという説がある。

さて、そうして登場した「つけ麺」・・・・まずは汁に浸けず、「麺」だけをそのまま食べてみた。
数秒後・・・・・思わず、「ゥンまああ~いっ!!」と・・・・漫画「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木飛呂彦氏作)第33巻の一コマが脳裏にフラッシュバックする。
漫画の中で「スタンド」と言う超能力で作られた超絶イタリア料理を食べた登場人物が「歓喜の雄叫び」を上げる有名なシーンである。そのあまりにインパクトのある「美味しさの描写」に、私もいつかこんな料理と出会いたいものだと思っていたが・・・・いよいよ、ついに・・・・出会えたようだ。

この「麺」だが・・・・・すすり心地はとにかく徹底して「滑らか」、表面のザラ付き感が絶無であり、まさに「極上のビロード」のような舌触りである。
水のベールをまとったように潤い、しっとりとして肌理の細かい、まさに・・・・「生まれたての肌」である。生まれてから空気に触れている時間が極端に短く、超フレッシュな感覚なのだ。
口当たりは想像していた以上に柔らかく、とてつもなく「ナイーブ」・・・・しかし、冷水締めされていることもあり、麺の外側の輪郭を絶妙に感じさせ、フニャフニャとした動きの頼りなさや、コシ砕け感、食感の曖昧さは絶無だ。
スルスルと軽やかな躍動感を伴いながら、実にしなやかな体躯を感じさせる、他に類例のない「柔軟感」と「緻密感」を持つ麺であり、この柔らかさに包まれた「躍動感」こそ、スパイラル状のグルテンが生むバネの成せる技なのだろう。

さらに、すする際に「チュルチュルチュル・・・・」「ジョボジョボジョボ・・・・」と、連続して「水の音」が聞こえて来そうなほど思い切り「超」多加水であり、加えて包丁や切り刃で裁断した四角さを全く感じさせない「完全なる円」の断面を持つ麺は・・・・それゆえ無類の丸~い口当たりを生むため、極端に言えば「水」が円筒形に造形されたサムシングを食べているイメージとさえ言える。

何とも・・・・過去に一度も出会った事さえない、うっとりするほどに「ミステリアス」&「艶かしい」麺である。
日常の生活では滅多に触れる機会がないこの感触を・・・・もし何か近いものに例えれるとすれば・・・・小さくて柔らかい「赤ちゃんの手」と握手した時の感覚が近い・・・・だろうか。

赤ちゃんの可愛い手・・・・プヨプヨとして柔らかく、限りなく「コケティッシュ」、しかしタコやナマコなどの関節が存在しないフニャフニャの軟体動物的な軟らかさとは全く違い、小さいながらも整然とした「骨格」も「関節」もあり、きちんと機能するその動きの「ミニチュア的な精巧さ」に近いイメージを連想してしまうのだ。
全く硬直感がなく、どこかミニチュア的な「可愛らしいニュアンス」を持つこちらの麺と比べると、他店の太麺の多くは・・・・何とも「大味」であり、まるで大人のゴツゴツと骨ばった「いかつい手」に思えてしまう。

もしくは・・・・衣服の洗濯の際に、高価な「柔軟剤」を使った衣類に生まれる柔らかで滑らかな肌触りだろう。
特にコットン素材の服などは、「柔軟剤」を使わない場合は乾くと繊維がゴワゴワとして粗い感じがするが、「柔軟剤」を使うととても同じ服とは思えないほど、素晴らしくソフトで緻密な肌触り、シルキーで心地良い風合いになる。その柔軟感の「違い」は、少し触れれば誰にでも判るはずだ。

このような極めて「稀有なフィール」の絶品麺が誕生する「秘密」は何なのか・・・・不思議でならなかったのだが、後日、知ったところによれば、どうやら中華麺ではまず滅多に使われない「薄力粉」を大胆に使っている事に秘密があるようだ。
なるほど、極めてデリケートな食味を生む「薄力粉」と「手延べ」の技法が一つとなって成せる技と考えれば・・・・「限りなくコケティッシュな麺の動き」「可愛らしい口当たりのニュアンス」にも、確かに納得が行くものがある。やたらと強力粉に偏重してやや食傷気味の昨今の中華麺事情から考えれば・・・・まさに「逆転の発想の勝利」である。

そうして、いざ噛んでみれば・・・・・これまた、まったく「しけった匂い」や「茶色っぽさ」が一切なく、麺からは塩気やカンスイ臭さなど「負」の要素が微塵も感じられず・・・・まるで空気の澄み切った高原で迎えた朝、ロッジの部屋の出窓にかかった純白のレースのカーテンから差し込む穢(けが)れなき「朝の陽光」の如き、まぶしいほどの「純白感」、「透明感」、「無垢感」を持つ・・・・「スーパーブリリアント」な美味しさが放たれる。

その一点の「汚れ」や「穢れ」がない中から生まれて来る、湧き上がって来る・・・・素晴らしい小麦粉の香りと味に、果たしてここまで「穢(けが)れのない美味」の麺が作れるものなのか・・・・・と、心底驚かされる。
まるで・・・・完全防音の地下オーディオ専用ルームで聴くピュアオーディオのように・・・・完璧に「無音」の静寂空間の中、スピーカーから美しい澄んだ音色(曲)がキラキラと流れ出し、一切の曇りや濁りがなく鳴り響くかのような・・・・異様に「ピュア」な味(音)・・・・の凄さを目の当たりに突き付けられる気分である。

しかし・・・・ここまでの感激は、まだまだ「序章」に過ぎなかった。
実は二回、三回噛んだ程度では気付きづらいのだが・・・・十回以上も噛むと、いきなり眼前に、もう信じ難いほどの甘味と旨味の織り成す、究極の「小麦ワールド」が広がって来るのだ。
ここからがいよいよ「本章」の始まりなのである。この「香り」と「旨味」と「甘味」・・・・・これが「三段ロケット」の様相で、口中で加速度的に膨張し、「噴火」「爆発」「炸裂」する。この超絶美味・・・・・だいたい20回位噛んだ時点で圧倒的な「ピーク」の大津波がやって来るようだ・・・・。

十数秒後・・・・その「体が打ち震える」ほどの美味さのピークの大津波がようやく過ぎ去り・・・・なんとか麺を飲み込み終えた時点で・・・・思わず大きくため息をついてしまった。
そして、なるほど・・・・この味、これこそが、有史以来、「小麦」が全人類の「主食No.1」の座に永らく君臨し続け・・・・今なお世界を席巻している真の「魅力&実力」なのだな・・・・と、驚きとともに、改めて深く確信させられてしまった。
繰り返すが、あまりの口当たりの良さに誘われて、決して良く噛まずに飲み込んではならない。おそらくは良質のデンプンが唾液の中の消化酵素と混じって糖質化するのに、ある程度の時間がかかるためなのだろう。

こちらの手延べ麺・・・・その麺を延ばす高等技術の素晴らしさだけでなく・・・・ズバリ、「小麦粉が旨い」ことも「特筆」に価する。
この只ならぬ小麦粉の美味しさ・・・・私的には、北海道産の国産小麦の新鮮なものを高精白した粉の味を連想させられるが・・・・実際はどうなのだろうか。特に「産地」や「銘柄」や「精白率」だけでなく、まるで収穫直後の「新小麦」のようなスーパーフレッシュネス・・・・を「ありあり」と感じさせ、よほど「超新鮮」(鮮度保持状態の良好なもの)な小麦粉を使っているのは間違いないと思う。

私はつねづね「新蕎麦」や「新米」は毎年必ず話題になってやたらと「ありがたがられる」のに、なぜか「新小麦粉」はあまり話題にならないのはおかしいと思っているのだが、小麦も「鮮度が命」なのは他の穀物類と全く変わらないと思う。
古い小麦粉はグルテンが劣化してしまい、パンは膨らまなくなるし、麺の生地はちぎれやすくなる。時間の経過とともに、香りも味も無残に衰えてしまう。
要は小麦も「野菜」と言う事なのだろう。新鮮な小麦粉ほど、香りも味も素晴らしく、グルテンも実に良く伸びるのである。

ただ、温室で一年中作れるトマトやキュウリと違い、国産小麦はほぼ6月前後に集中して収穫される「季節作物」である以上「一年間」を通して考えれば、常に同じ条件の小麦粉の仕入れが可能とは限らないし、手打ちうどんの世界でも「土三寒六常五杯」と言われているように季節ごとの「気温」やその日の「湿度」で製麺時の水加減や塩加減も大きく変わり、年間を通して考えれば、常に麺の食味は大きく変化している。

今回は「冬」の12月だった訳だが、これが7月や8月の「夏」だったら、また違った食味になるような気がする。
そう言う意味では、いかなる名店でも、一年365日、毎日「常に同じクオリティの麺」を提供するのは極めて至難の業である事を、客側もよく「理解」する必要がある。
あくまで私的な好みの話になるが、こと「手打ち麺」(手延べ麺)について言えば、気温が下がって加水が多くなり、塩分濃度も低くなる・・・・「冬」こそが、一年で最も美味しいシーズンだと思う。


さて一方の「つけ汁」は・・・・醤油味にも拘らず「醤油」の風味はあまり感じられず、もし「塩味」と言われてしまえば、うっかりそのまま信じてしまいそうなほどだ。むしろ意図的に、醤油風味を出したくないと言う感じを受ける。おそらく醤油の強い風味が、小麦粉の風味を隠してしまうのを避けたいのではないだろうか。

素材は「豚骨」がメインのようだが、そこへ「ニンニク」の風味が結構きっちりと効かされている。ニンニクの辛気が舌に「ピシンッ」と軽く鞭打つ感じと言うか、平手で「パチンッ」と軽く叩いて来る感じ。その風味と刺激に舌が煽られる感じで、次々に食べ進める工夫がされている。
椎茸や魚介類なども使っているそうなのだが、いずれも隠し味的に使われているようで、基本的にはあまり「凝った」感じのない、割とシンプルなスープである。と言うより、手打ち麺と組合せるのであれば、シンプルなスープでないとせっかくの麺の持ち味や素性を生かせず、相性が良くないので、むしろ「いじり過ぎていない」ところにさすがのセンスを感じる。

また、味付けは濃すぎず、粘度もさほど高くなく、つけ麺の汁に多い後付けの甘味や辛味や酸味も、特段付け足されてはいないようだが、麺の表面が汁気をうまく絡めると言うこともあって、味の物足りなさは一切なかった。それどころか非常に一体感があり、違和感やアンバランス感は絶無、相性はかなり良い。
つけ麺の「汁」は、「味を濃くすべし」「粘度を高くすべし」「甘辛酸を足すべし」・・・と言うのが常道ではあるが、こちらのつけ汁を頂くと、目からウロコが落ちるようだ。

チャーシューの肉質は「ふっくら」としてジューシー、脂身も「トロットロ」だが、味付けはかなり大人しめで、あくまで「脇役」としての分をわきまえさせた味付けになっている。
メンマは「ゴリゴリゴリ・・・・」として、繊維の結着密度が高く、割と硬めの歯応えはあるものの、あまり醗酵風味や味付けはなく・・・・玉子もほとんど味付けは感じられない。
青菜はしっかりと茹でこぼしされ、無味無臭な感じなのだが、パキョポキョとする空気を含んだ明るい歯応えが濁ったスープの風通しを良くしてくれるし、「彩り」や「栄養面」としても役に立っている。
モヤシも少量で脇に除けられているので「絶品麺」を食べる邪魔にならないのも良い。
一通り「具」を食べてみて、「さすが、判っているなあ・・・・」と感心させられた。おそらくは・・・・客が物足りなくならないよう、見た目が貧弱にならないよう、「商品性」を考えて一通りの「具」を取り揃えてラインナップしながらも、絶品麺の風味を一切邪魔しないよう、すべての具は見事なほど控えめの味付けに抑えられている印象なのだ。

大感激とともに食べ終わり、スープ割をして頂くと、「豚骨」と「香味野菜」のマージした風味を持つ美味しいスープである。
やはりニンニク等の風味を感じるが、この時点ではパチンと舌を弾くような躍動感ではなく、柔らかく包み込むような味わいとして感じられる。スープで割った後は、グイグイ飲まされてしまった。


食べ終わってみれば・・・・こちらの「手延べ麺」の素晴らしさはまさしく想像を遥かに超えており、正直、よもや「ここまで凄い」とは思っていなかった。
そして、同時に・・・・今まで「敵なし」と思っていた「馬賊」の「手延べつけ麺」に、いよいよ比肩するお店が登場した事を確信させられた。
ただ、手打ち麺フリークの味覚受容体(レセプター)を「狂喜」させるその「レベル」と言う点では「拮抗」していると思うものの、目指している方向性はそれぞれ若干異なるようだ。

一言で言えば、「剛」の馬賊、「柔」の麺食堂Xと言うか・・・・こちらの手のべ麺は「馬賊」に比較すると、遥かに柔らかでナイーブなフィールである。
馬賊の手のべ麺はもっと重くうねり、図太い歯応えで、麺の中心部にギンギンとした「力感」が充満しているのだ。
「馬賊」が手延べ麺界の「王」とすれば、こちらは手延べ麺界の「女王」と言うイメージだろうか・・・・。

そして何より嬉しいのが「延ばし立て」「茹で立て」が保証されている事だ。この麺の「作り立て感」「出来立て感」が、輪をかけて一層麺の美味しさを「後押し」しているのは間違いない。
実際に食べれば判るが、こちらの麺には、「生まれ立て」の一瞬にだけ存在する瞬間的な美味しさが確実に存在している。出来立て以外では「あり得ない」香りや旨味の凄さなのだ。
以前に「共栄ラーメン」(栃木県)でも感じた事だが、やはり私は、何日も寝かせて良く熟成させた麺よりも、フレッシュな風味が香る「打ち立ての新鮮な手打ち麺」が最も好きなようだ。

こちらの麺・・・・その魅力を知れば知るほど、食べれば食べるほど、全要素、全方向に渡って「絶賛」の言葉で埋め尽くされてしまう。
加えて、つけ汁やスープも「出来立て感」ありありのフレッシュ路線で、麺としっかり「歩調」を合わせて来ている。「手延べ麺」単体でも凄いが、全体の「まとまり感」も素晴らしい。
そして、「てのべ麺」や「てうち麺」と言うと、その多くは、良く言えば「伝統的」な味付けや盛り付けを堅持していると言えるが、言い方を変えれば昔のままで変わらずセンスに古臭さを感じてしまう事もあるのだが、こちらは器の選定から始まって、スープの味や具の配列にも、新店らしい若い現代的センスを感じさせてくれる。

それでいて、ここまで味が「まとまっている」「完成している」のであるから・・・・店主氏は並外れて素晴らしい才能をお持ちのようだ。
この「つけ麺」の魅力の全容は、おそらく一時間や二時間では到底語り尽くせないだろうと思う。


(麺は完食。スープ割も完飲。)




↓続きあり






~麺食堂エックス その2~



【動画】(約1.0MB)

念入りに何回も何回もねじり込み・・・・
繰り返し丁寧に丁寧に回してヨリを入れる・・・・

この手延べ特有の「螺旋運動」こそが・・・・
他に類例のない「スパイラル構造」のグルテン形成の秘密。










同上日 塩汁麺 800円
(この写真はクリックで拡大します)



感動するラーメンとは・・・・
まずは「麺」ありき。

実際、これほどに卓越した手延べ麺さえあれば、
これ以上、一体他に何が必要なのか・・・・
とさえ思わせられてしまう。

「食べ物」の域を大きく超えて、
名画や名曲から得られる・・・・最大級の感動と並ぶ、
至高の「芸術性」を強く感じさせる一杯。

これほどの麺を打てる「人」の存在、
その「才能」そのものに「心服したい」強い気持ちに襲われる。

今、真に食べる価値があり、
真に訪れる価値がある・・・・お店です。









伝統的なイメージのある「手延べ麺」を
若いセンスでスタイリッシュに演出する逆円錐型の器。






基本的には「つけめん」と同じ「豚骨+ガーリック」路線のスープ。
味に全く尖りやトゲがなく、全体がとても「ゆったり」「穏やかな」・・・・美味。
それでいて「動的」な味の大きな潮流を感じさせる。






熱いスープに浸る事で、さらに柔らかく、どこまでも軽く・・・・
より一層、精彩あふれるディティール感とメロウ感が増した手延べ麺。
まさしく、これぞ「ミラクル・テクスチャー」(奇蹟の食感)。






ブリリアントな「純白感」、濃艶な「光沢感」、無類の「丸~い」口当たり。
さらに、可愛い子猫の「柔らかなシッポ」のような超コケティッシュな動き・・・・
ゾクゾクするほど「蠱惑的」(こわくてき)な口解け感・・・・

まさに究極の「デリケート・ニュアンス」を持つ・・・・これぞ最高峰の手延べ麺。




同上日 塩汁麺 800円 

さて、「汁麺」(ラーメン)を食べるに当たっては、正直、かなり迷った。過去に訪問した「馬賊」では、「つけめん」と「ラーメン」のあまりにも大きな食味の「差異」にとまどった記憶があるからだ。
しかし、結果として・・・・この「汁麺」も想像を遥かに超え、私の心の「琴線」へと確実に触れて来る素晴らしい一杯だった。

そしてその「超感激」をもたらした要因のほとんどは、やはり「手延べ麺」に集約される。
しかも、つけ麺と全く同じ麺を使っている訳だが、こちらは「冷水」による引き締めがなく、また「熱々のスープ」に長らく浸り切ることで、麺が全く異なる「表情」「魅力」を見せてくれた。
今回のように、ほぼ同時に食べ比べをしてみるとその違いが非常に良く判る。

ズバリ、「汁麺」になると、こちらの手延べ麺は・・・・到底、この世の物とは思えないほどに「柔らか」&狂おしいほどに「メロウ」な食感へと昇華する。
決して「ドスッ」と舌に落ちて来ない、どこにも「角」や「硬さ」を一切感じさせない・・・・空中浮遊感、無重力感、羽毛のくすぐり感・・・・柔らかな円を描く動き・・・・。先の「つけめん」の麺が一歳児の手の平だとすれば・・・・こちらのラーメンの麺は「ゼロ歳児」の手の平と握手するイメージに近い。それほどに「ウルトラ・コケティッシュ」&「スーパー・ミニチュアチック」な食味なのだ。
明らかに、熱々のスープによって、麺のコシが絶妙に「ほぐされた」結果なのだろう。

すすり心地は・・・・「ニョモニョモ、ニョモ~~」と言う口当たりで、口中で麺が「フワッ、フワリ・・・」と軽く浮遊する感じがあり、まるで麺の「自重」がすっかり消えてしまったかのように・・・・芯が残ったような硬さや、動きの重さと言うものを「全く」感じさせなくなる。
そうして口の中に入った麺は、「ちょこちょこ・・・」と可愛らしく動いて、「はたはた・・・」と舌に柔らかく触れて来る、「ふるふる・・・」と喉元へ体を擦り寄せて来る。舌の上で、この麺が「ちょこちょこ」と動くたびに、その「ふぅわり・・・」と口蓋をなで回すような仕草に・・・・思わず全身が「恍惚」(こうこつ)の感情に襲われる。

この感覚・・・・舌が、脳が、心が・・・・際限なく「まどろんで」しまうような・・・・何とも言えない安心感、充足感、幸福感で満たされる。食べ手の脳内に大量の「アルファ波」があふれ出る超癒し系の食感であり、食べ心地であり、美味しさに他ならない。

いざ噛んでみれば・・・・その類まれなる柔らかな歯応えの「ミステリアスなニュアンス」に・・・・思わず「悶絶」。
決してモチモチと言う訳ではなく、まるで「ホワホワ・・・」と雲が散るかのように空中分解しながら、喉の奥ではなく、空中へと自然に「雲散霧消」して姿を消して行く、恐ろしいほど滑らかに「フェードアウト」して行く・・・・感覚なのだ。
まるで水蒸気が蒸発し、煙が風にたなびき消えるかのように・・・・・。

ああ・・・・何だろうこの一連の感覚・・・・このくすぐられるような悦楽感・・・・。
何か、過去に経験している「何かの体験」に似てるなと思ったが・・・・十数秒後・・・・ふいに、ペットの可愛い「子猫」の「柔らかなシッポ」・・・・のイメージが脳裏に思い浮かんだ。
まさに、この手延べ麺・・・・可愛い盛りの子猫と戯(たわむ)れていて、私の指にじゃれ付いて来る柔らかな「尻尾」、フサフサしていて、クルクルと柔らかく自在に動き、触れた私の手にくすぐるように戯れて、フワフワとまとわり絡み、ちょこちょこと触れて来る、あのひどく可愛らしい「子猫の柔らかなしっぽ」のイメージが見事にオーバーラップする。

そう言う、限りなく柔らかな・・・・小さな生命体のしぐさ、幼い小動物の可愛いらしい動きを・・・・連想させるイメージの麺なのだ。
そして、麺の表面の柔らかなビロードの舌触りは、まさに小猫のしなやかな「ファー(毛)」を連想させる柔らかさ、肌触り、手触り・・・・でもある。


一方のスープ・・・・は、基本的には先の「つけめん」とほぼ同じもの。「醤油」と「塩味」の違いは、あまり明確には感じ取れなかった。
しょっぱさと言う物とは全く「無縁」で、塩気はダシの後方で極めて穏やか~に効いているのみ。全く尖りやトゲがなく、どこにも鋭角的な味がなく、全体がとても「ゆったり」「穏やかな」・・・・それでいて一切の「淀み」のない、「動的」な味の大きな潮流を持っている。
いわば動きの急な「渓流」ではなく、かと言って動きのない「淵」でもなく、ゆったりとした「大河」を連想する味の流れ方だ。実に過不足がなく、箸が止まらず、麺が非常に食べ易いし、スープ単独で味わっても「飲み物」としてもかなりのレベルで美味しい。

ダシは豚骨メインのようだが、そこへニンニクが効いているのも「つけめん」と同様だ。他に野菜類も使っているような感じも受けるが、魚介は使っているのかいないのか・・・・仮に使っていたとしても本当に僅かな隠し味程度だろう。後味的には、ほんのりと「ポテトチップ・ガーリック味」のような風味が舌に残る。

今までは、手打ち麺や手延べ麺と言うと・・・・私的には「醤油+鶏ガラ」のスープがベストマッチすると思っていたが、こちらのような「塩味+豚骨メイン」のスープとも意外なほどに相性が良い事に驚いた。決して「アイディア先行」ではなく、見事に一つの「新しい味」をクリエイトしている。
さらに感心したのは、以前に「馬賊」では、つけ麺に比較するとラーメンの場合は「手延べ麺」の素晴らしさが十分には発揮されていないと感じたのだが、こちらは「つけ麺」に負けず劣らず「汁麺」が素晴らしい美味しさを発揮している事だ。

一般に、「スープ」が美味しいお店では「ラーメン」を頼み・・・・「麺」が美味しいお店では「つけ麺」を頼んだ方が・・・・ベターな結果となる事が多い。
しかし、今回食べた限りにおいては、こちらの「汁麺」は、先の「つけ麺」とはまた明確に異なる「独自の美味」の世界を完璧に確立しており・・・・いずれが「甲」「乙」かは到底判定不可能のように思えた。
先の「つけめん」の麺も本当に素晴らしかったが、こちらのラーメンで食べる麺も猛烈に気に入ってしまったのだ。

敢えて分析すれば、麺の「旨味や甘味」、「香りや風味」・・・・と言う点では、やはり長らくスープに浸り切らない「つけめん」の方がピュア&ダイレクトに味わえるのは間違いない。
しかし、それでも、つけ麺の「コケティッシュさ」を大きく超える、汁麺の「スーパー・コケテイッシュ」な麺の食感と、ゾクゾクとするほど「蠱惑的」(こわくてき)な口解け感は、私の知る限り、他のラーメンでは絶対に得られない「唯一無二」の「ミラクル・テクスチャー」(奇蹟の食感)だと確信させられてしまう魅力がある。
事実、過去に私が食べて来た幾千杯のラーメンに・・・・この麺と同じ食感はおろか、近い食感さえ一切「絶無」であった。

予期はしていても・・・・食べ終えれば、やはり得も言われぬ「激しい感動」に全身が襲われる。
いつまでもこの素晴らしい「手延べ麺」を、日本のラーメン界の「至宝」を・・・・末長く大切に守り続けて欲しいと願う。




最後に少々余談だが・・・・・。

ラーメンにとって最も大切な要素は「スープ」なのか、はたまた「麺」なのか・・・・と言う議論がある。全国民にアンケートでも実施しない限り、おそらくは容易に結論は出ないだろう。
しかし、ラーメン職人の巨匠の一人である「支那そばや」の佐野実氏は著書「魂のラーメン道」の中で、「私は以前はスープ派だったが、今は麺に夢中になっている」、「スープは麺の美味しさを引き出すためにある」、「スープよりも、麺の方が実は微妙に難しい」・・・・等の趣旨の明言をしている。

実は・・・・私も「ラーメン」と言うものを知れば知るほど、食べれば食べるほど・・・・いつしか少しずつ「麺派」に傾倒するようになり、今ではどちらかと言えば、「麺」の美味しさの方が、「スープ」にやや優先する・・・・・と思うようになった。
考えてみれば、「そば」でも、「うどん」でも、今まで私に感動を与えてくれたお店は、一つの例外もなく、常に「手打ち麺」であった。実際、製麺所で大量生産される機械打ちの「蕎麦」や「うどん」を、熱く語るマニアやグルメ評論家は見た事がない。
そんな事もあって、いつの頃からか・・・・気が付けば、私のラーメン食べ歩きにおいては「手打ラーメン」や「自家製麺」のお店を探し、優先して食べ歩くようになった。

今までの「ラーメンブーム」が語られる際は、「無化調の塩ブーム」とか、「濃厚豚骨魚介トレンド」とか、「鶏白湯が流行る」とか、「鮮魚系が新しい」とか・・・・常に「スープ」ばかりが話題になって来た。しかし、そろそろ行き詰っていると言うか、ややマンネリ気味と言うか、スープだけで他店との明確な差別化や大きなアドバンテージを実現することは、次第に難しくなって来ているように思う。

そう言う意味で・・・・個人的には、今後のラーメントレンドはいよいよ本格的に「麺で競う時代」に突入して行く予感を感じている。
事実として、ここ最近オープンして人気化するお店の多くは、かってないほどの「自家製麺の普及率」であるし、いずれも「麺」にひとかたならぬ個性や魅力を持たせようと注力している。
遠からず・・・・もし「手打ち麺」や「自家製麺」の一大ブームが「来る」としたら、他店がどうあがいても絶対にマネの出来ないこの超絶品「手延べ麺」がある限り、こちらのお店はその麺ブームの中、「出世株」の筆頭に躍り出る予感がしてならない。

厳しく長い修行の末の果実とも言える「手延べ」の技法は、すべて完全手作業のため、その美味しさのレベルは「打つ人の技量」に100%依存する非常に「属人性」が高い麺である。
果たして同じレベルの手延べ麺を打てる「才能」を持つ人が、たとえ全国を探しても他に何人いるのだろうかと考えると・・・・この都内でさえ数えるほどの「手延べのお店」しか存在していない現実を考えれば、おそらく決して多くはいないことだろう。
そう言う意味では、これほどの麺を打てる「人」の存在、その「才能」そのものに・・・・「心服したい」強い気持ちに襲われてしまう。

店主氏のラーメン作りにおける「才能」と、その才能開花のためにその人が「修行や研究に費やした人生の時間」に対して、お金(対価)を払えるのなら・・・・
ラーメンフリークにとって、これ以上の「幸福」「喜び」「充実感」はない・・・・と思う。


(麺は完食。スープは7割飲んだ。)









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