ラーメン&つけ麺食べ歩き
井之上屋
(埼玉県 春日部市)

店名 らぁ麺 井之上屋(いのうえや)
住所等 埼玉県春日部市大沼2-61 【地図表示】
禁煙 タバコ完全禁煙
訪問日 2005年7月上旬 井之上屋の「塩」 850円 
2007年1月中旬 井之上屋の「かけ」 1000円 



〜井之上屋 その1〜



到着しました。
春日部駅から徒歩約15分。
お店の裏手に駐車場が3台分ほどあります。






板張りの和風の外観に
白い大きなノレンが映えています。






営業時間と定休日です。






窓に貼られたメニュー。
「塩」系統がメインのお店ですが「醤油」もあり。






ふむふむ・・・「味の難易度」ですか。

ほう・・・・・面白い・・・・。
難易度「高」の「井之上屋」に決めますた。
「ラーメンを知る人のらぁ麺」・・・ですか。
何だかファイトが湧いて来ますな。






「井之上屋の塩」の説明。
「コショウは絶対に入れないで下さい。」
「化学調味料も入れないで下さい。

具の追加もできません。」

うーん、なんだかますますファイトが湧いて来ますた。
(*゜∀゜)=3 ハァハァ。






いざ突撃です。
店内はテーブル席とカウンター席があります。
落ち着いたシックな和風の内装です。






スタッフはお二人で、とても丁寧な調理ぶりです。
麺箱には「三河屋製麺」と書いてあります。






卓上に置かれた化学調味料です。
メニューには、「味が物足りない方はお使い下さい」
と出ておりました。
ただし「井之上屋のかけ・塩」には禁止だそうです。










2005年7月上旬 井之上屋の「塩」 850円
(この写真はクリックで拡大します)



一見、ナチュラルな薄味路線ですが・・・・
スープを数口飲めば、只者ではない事が判ります。
繊細系とか、優しい味とか・・・それらとも微妙に異なる・・・。

器の中に込められたメッセージは、まるで「禅問答」のよう。
明鏡止水の如く「心静かにして」食さないと、
その本質をつかめない感じがあります。

食後は、体と舌が、すっかり「解毒」「リセット」されたような感覚・・・。
食べ手を大きく選ぶラーメンですね。









もし、無理に一言で表現するならば・・・何とも「まろやかな」スープ。
鶏の「油」のコクではなく、鶏の「肉と骨」のふくよかな旨味を感じますが、
何とも、長編の「推理小説」を読み解くようなイメージ・・・・。






多加水な感じで、ぐっと落ち着いた動きをする細麺。
まるで小麦粉をそのまま舐めるような・・・・
小麦粉の味が直に感じられるタイプ。
玄人ウケしそうな・・・至極「玄妙」なる味わい。




2005年7月上旬 井之上屋の「塩」 850円 

ハイレベルな無化調ラーメンを提供する事で知られる2003年11月オープンのお店。
特に塩ラーメンに力を入れていて、その「味の難易度」でいくつかのバラエティがある。若い店主さんはメニューの改良や新作の発表など、味の進歩を目指して日夜研究に余念がないようだ。こちらで供されるラーメンは、全てのメニューが無化調。今回は、それらの中でも最も難易度が高いと言う、店名の冠された「井之上屋の塩」をオーダーしてみた。

ラーメンが目の前に置かれると微細な魚節系の風味が極々ほのかに鼻先に感じられた。
まずは一口スープを飲んでみると・・・・・まず、スープはやたらと熱過ぎることがなく、味を感じ易い的確な温度に設定されている。
スープがスーーーッと舌の上を広がってゆく、そして数秒・・・・・。
「味」は、存在しているのは判るのだが、まるで舌先を「煙に巻くように・・・」、容易にはその姿を見せようとせず、差し出した舌先を慌てさせる感じがある。

敢えて一言で表現するとすれば、なんとも「まろやかな」スープ・・・・・である。
鶏のふくよかな旨味がメインだと思うが、名古屋コーチンのような思いっ切り芳醇な「鶏の脂」の美味しさとコクで、一口目から食べ手を歓喜させるような判り易いスープではない。
できるだけ味覚神経を集中させて、スープを味わってみたが、明鏡止水の如く「心静かにして」食さないとその本質をつかめない感じがあり、五里霧中の中を、作り手や素材達からの小さな「声」を探して、一歩、また一歩と・・・・手探りで食べ進む感じだ。
味の中心は、鶏の「脂」の旨味やコクではなく、鶏の「肉と骨」のふくよかな旨味という感じであり、最初に感じられた微細な魚節系の風味は、食べ始めるとそれほど節系の存在を感じ取れなかった。

後日、インターネットでちょっと調べてみた限りでは、「軍鶏」(シャモ)を使っていると言う記述をしているサイトがいくつかあった。なるほど、もし軍鶏なら引き締まったストイックな旨味である事にも合点が行く。
ついつい何度も味を探って、スープを続けて5口ほど飲んでしまったため・・・・・スープだけが少なくなってしまい、中の麺がモッサリと浮き上がった感じになってしまった。

麺は細麺ストレート。すすってみると・・・ツルツルとか、プリプリとかのハリのある軽い食感ではなく、もっと多加水な感じでぐっと落ち着いた動きをする麺だ。
噛み締めてみると・・・カンスイが相当に控えられている感じで、ちょっと歯にまとわりつくような独特の柔らかさがある。
味的には、玉子の風味がかなり控えられていて、小麦粉の味がそのまま感じられるタイプ。穀物特有の微細な苦味のようなものが僅かに混じっていて、まるで小麦粉をそのまま舐めたような・・・・感じに近い。
後付けの甘味などは一切なく、至極「玄妙」なる味わいと言うか、まさに小麦粉の「素材感」を楽しむための大人向けのチューニングになっているようだ。

麺を食べていて3口目ほどで、つい無意識に卓上のコショウに手を伸ばしそうになる・・・・「あ、そうか・・・コショウは入れちゃダメなんだ・・・」と、一人で密かに赤面してしまう。

気を取り直し、一つ入っていたワンタンを口に入れてみると、皮の厚みは中程度なのだが、摩擦係数が究極的に低いツルンツルンな皮で滑り込むように口に入ってきた。
中身は旨味の詰まった新鮮な鶏肉のミンチと大振りなエビが一つ丸ごと入っており、鶏肉とエビのハーモニーが素晴らしく美味しい。風味の良いエビは身も締まっていてプリプリと軽く弾けると言うよりも、ギュウッと身が締まっていてモグモグと心地よい歯応えがある。

しかし、ワンタンを食べ終えて、再び麺を数口食べていると・・・・再び、「うーん、ちょっとコショウを入れてみるかな・・・」と思っている自分がいた。
再び、「うっ・・・そうか、ダメなんだよな。」と気づき、「いかんいかん、しっかりしなければ・・・」と気を取り直す。
それにしても・・・・何と悩ましいスープだろう・・・・。まるで「薄氷」の上を踏み歩いているかのような心境になって来る。
つまり、それだけ「感覚」を鋭敏にしないと、容易には先へ進めない・・・・イメージなのだ。もしここで、コショウを一振りでも入れられれば・・・・どれだけ楽になれることか・・・・と思う。
さすがに「化学調味料」を入れようとは一度も思わなかったが・・・。

ちなみに、具はどんな感じかと言うと・・・・。
巻きバラのチャーシューは薄めに切られ、箸で持ち上げた時点で既にハラリ、ホロリとほぐれかけている。
食べてみると、これまた、まさに「肉そのもの」の味・・・・・である。まるで一切の味付けを拒否したかのような、原形の味が一切いじられずにそのまま100%前面に出ている感じ。極微量の塩だけで調理されているような味だ。そうして、口中に芳醇な肉の旨味だけを残して、淡雪のようにとろけて消えてゆく・・・。薄めに切られているのも、恐らくはこの「口解け感」を狙っているのだろうと思う。
玉子は微妙な甘さと塩加減のバランスが見事、そしてトローリとした黄身は深い味で、豊かなコクが楽しめる。白身もプルルンとするいかにも新鮮な卵に特有の食感で口当たりが心地よい。
海苔は磯の風味がやや控えめで、スープの味の邪魔になっていないのは、さすがという感じ。
唯一、水菜がシャキシャキと「明確」な食味を放ち、まるで気付け薬のような役目を担っているように感じられた。

麺と具を食べ尽くし、スープをすべて飲み干して思ったことは・・・・。
具はどれも上質で、誰にでも判り易い美味しさだと思う。麺は、全くゴマカシのない「ありのままの小麦粉感」にちょっと面食らうが、玄妙な風味があり、玄人好みかな・・・と。
そしてスープはと言えば・・・・うーん、何とも、長編「推理小説」を読み解くようなイメージ・・・・が近いだろうか。
つまり、自分の五感、感性を研ぎ澄まして「味を探る」、そして感じた味について「考える」「推理する」感じ・・・・になるのだ。

ただ、具はどれも美味しいものの、その存在が多めなのはやや邪魔にも感じられるし、具から溶け出る「香り」や「味」がどうしてもスープに影響していると思う。
次回チャレンジする機会があれば、ぜひ具を全て排除した、井之上屋の「かけ」で挑戦してみたい。

正直に言えば、食べ終えた時点でのスープに対する感想は、美味いのか、どうなのか・・・・・まだ「半信半疑」、という感覚であった・・・。
ただ、少なくとも思ったのは、同じ無化調であっても「玄」(秋葉原)のように無化調でありながら化調ラーメンに負けない旨味のラーメンを目指している印象を受けるラーメン・・・・とは全く異なる方向性を持つラーメンであるという事だ。
むしろ無化調でしか絶対に到達できない味の世界を追究しているラーメンだと思う。

そして・・・・お店を後にしてから、10分ほどしたところで・・・・突然、その「衝撃」はやって来た。
急に背筋が「ゾク、ゾク、ゾクッ・・・」として一瞬立ち止まってしまう・・・。腰から背中にかけて脊髄に何かの電流が走るような・・・自分の中で「何か」が呼び覚まされるような・・・そんな感覚が湧き立って来る。
まるで「雷」に打たれたような感覚・・・・と言うと大袈裟になってしまうが・・・・何かの「インスピレーション」が、ほんの1〜2秒間だが、私の体を駆け抜けていったような感覚が、確かにあった。

その直後、自分自身が「リセット」されたような・・・何とも言えない気分の良さ・・・清清しい胸のすく感覚・・・実に不思議な「清々しさ」が、体の中に生まれている・・・。
「なんと言う心地よい感覚だろう・・・・」と、しばしの間、絶句・・・・。こんな食後感はもちろん初めての経験である。

そして、雑味の取り払われた舌は驚くほどにスッキリとしていて、食べる前よりも明らかに舌のコンディションが良くなっていることに気づく。日常の雑な食生活で舌に付いていた「垢」「ウロコ」「ホコリ」などを一枚一枚はがして、どこまでもきれいに掃除されたような感覚だ。
体と舌が、すっかり「解毒」されたかのようなイメージに近い・・・・。

この後味体験は、「ほうさく」(横浜市)や「むさし坊」(浦和市)の塩ラーメン・・・などとも通じるものがあるような気がする。
おそらくは、この「後味」を体験させたいために、コショウを入れないで欲しい・・・・と言う事なのだろうと理解した。

器の中に込められたメッセージは、まるで「禅問答」のようにも思える。確かに上級者向けのラーメンに間違いないだろう。
一回食べた程度では、このラーメンの持つ真の意味を、まだまだ半分も理解できていないんだろうなぁ・・・・と思う。
五回位食べれば、私にもこのラーメンの「真価」「真意」が、もう少し深く判るかも知れない・・・・・。


(麺は完食。スープも完飲。)




↓続きあり






〜井之上屋 その2〜



約一年半ぶりの「井之上屋」再訪。
和風シックな店舗外観には大きな変化はなさそうです。






入店するとすぐ左側に「券売機」を発見。
色とりどりの豊富なメニューラインナップの中から・・・
迷わず、「かけ」のボタンをプッシュ。
第二&第四の「土曜日」限定のメニューです。






卓上に置かれていた「具の説明」。










2007年1月中旬 井之上屋の「かけ」 1000円
(この写真はクリックで拡大します)



こ、こ、これは・・・・

うーむ・・・・まるで・・・・
「抜身の日本刀」のようなラーメンですね。

しかも、触れれば切れる稀代の名刀「村正」のイメージの如し
全身、異様なまでの「凄み」に満ちています。

それだけに、食べ手も「真剣」に食さないと、
間違って扱えば自分が大ケガをしてしまいそうな・・・・
尋常でない緊迫感と、未体験の難易度。

いやはや、ついにラーメンも「ここまで」来ましたか・・・・。









舌の上で一瞬の「閃光」が炸裂した数秒後・・・・
少し遅れて一斉に美味の余韻の「衝撃波」が押し寄せる・・・・。

味覚の「ライトニング・ボルト」or「ソニック・ブーム」
現象が発生する「驚愕のスープ」。






舌の上で猛然と「うなり」を上げる「驚速のスープ」。
果たして・・・「一瞬」の中にどれだけの味を詰め込んでいるのか・・・
美味の展開が速過ぎて・・・舌が、脳が、神経が・・・全く追い付けない。

まるで、時速300Kmで眼前を横切る「フォーミュラーカー」を
肉眼で追うような・・・・イメージ。

ただ、それゆえ非常に「ピーキー」な特性で、扱いがもの凄く「シビア」。






「日本一の美味しさ」を至上命題とし、
「金額の上限一玉1000円」と言う破格の条件下で
開発された三河屋製麺の特注麺。

その特注麺をお湯ではなく、贅沢にも「スープ」で茹でる事で
スープと麺の圧倒的な「一体感」を実現。






「コスト」と言う足かせから解放された
この特注麺の開発は・・・・人類初の「月面着陸」並の偉業ですな。
究極的に滑らかな小麦粉の「ナノ微粒粉感」や、
まるで「鏡面仕上げ」のようなツヤツヤの気品ある「麺肌」に絶句・・・・。

何百種類の麺の中、目隠しをして食べても確実に当てられるほどの
圧倒的な「新素材感&新世代感」。






最後のスープは、敢えて・・・・良く冷ましてから飲んでみました。
奥久慈シャモのピュアな出汁に塩ダレがキリリと効いて、
「瞬発力&ピュアリティ」を両立。
やや多めの油が「量感」と「まろみ」をプラス。




2007年1月中旬 井之上屋の「かけ」 1000円 

井之上屋の「かけ」が、去年の2006年11月に大幅リニューアルしたと知り、訪問してみた。
それまでの「かけ」とは、概ね次の3つの点で大きくリファインされているらしい。

(1)スープが大幅に進化し、いよいよ店主氏のイメージ通りの完成域に到達。
(2)そのスープに負けない「日本一美味い麺」を金額の上限一玉1000円でと言う破格の条件で「三河屋製麺」に特注。
(3)麺を茹でる際は「水」ではなく、高価な「スープ」そのもので茹で、麺とスープの圧倒的な一体感を得る。

・・・・・まさに、「前代未聞」の超絶のこだわりぶりである。
結果として、「かけ」は一杯1000円に価格改定され、提供も毎月第二、第四の土曜日のみとなったと言う。

一月の第二土曜日・・・・約一年半ぶりに訪問した「井之上屋」は、入口すぐ左に券売機が導入され、店内はテーブル席が減らされていた。
「かけ」のチケットを提出してから、数分の待ち時間が、いつも以上に非常に長く感じられる。店主氏の真剣な調理ぶりを眼前にすると、私の「期待値」のボルテージもグングンと上昇し、丼が差し出される頃には既に「MAX」域に到達していた。

そうして、いよいよ登場した「かけラーメン」・・・・・器の中は本当に「スープ」と「麺」だけで、ネギ類さえも乗っていない。
以前に食べた「井之上屋の塩」と同様、ラーメンが目の前に置かれると、微細なカツオ節系の優しい風味が、極々ほのかに鼻先に感じられる。

まずは、レンゲでスープを一口飲んでみると・・・・・次の刹那・・・・・
私の舌の上で、「何か」が起きた。「何か」が大きな「うなり」を上げて、正体不明のエネルギー体が舌の上に渦を巻き、「閃光」を発して炸裂したのだ。

「今のはスープ・・・・なのか・・・・?」、一瞬、何が起きたのか把握できないまま・・・・唖然としてしまう。
そして、その数秒後・・・・少し遅れて一斉に美味の余韻の「衝撃波」が押し寄せて来た・・・・。

まるで・・・・遠くの空で「稲妻の閃光」が青白く走り、数秒の空白の後、落雷の轟音の重低音が大地いっぱいに響き渡るかのような・・・・。
もしくは・・・・超音速ジェット戦闘機の編隊が遠く上空を通過した際に、数秒遅れて轟音(衝撃波)が一斉に地上へ降り注ぐかのような・・・・。
まるで、味覚の「ライトニング・ボルト」現象か、超音速飛行で発生する「スーパーソニック・ブーム」現象のイメージである。

いやはや、面食らったなんてものじゃない。
空前にして、絶後の・・・・「驚速のスープ」・・・・。すべては、「美味の展開」が高速すぎて・・・舌が、脳が、神経が・・・全く追い付けない事による「超常現象」であろう。
「味」はきちんと順序立てて放出されているようだが、その「展開速度」が速過ぎて、まるで映画ビデオを10倍速モードで「早送り再生」するようで、画像も音声も、いくらなんでも目が追い付けない、耳が聞き取れないのである。

特に、こちらのお店に対しては、前回訪問時のスロースタートでナイーブな薄味スープの先入観を強く持っていたため、一口目からの、予期せぬこの「閃光弾」のような旨味の炸裂には、あまりに度肝を抜かれた。
舌の上で猛然と「うなり」を上げる「驚速のスープ」。果たして・・・・「一瞬」の中にどれだけの味を詰め込んでいるのか・・・・何十、何百と言う味の密度が、コンマ数秒で炸裂するのでは、味の展開が速過ぎて・・・・まるで、時速300Kmでサーキットの客席を横切る「フォーミュラーカー」を肉眼で追うような・・・・イメージに近い。

できるだけ神経を舌に集中させて、スープの二口目を飲んでみた・・・・。
再び、レーシングエンジンの如き超然とした「うなり」を上げるスープ・・・・・その甲高い「咆哮」の衝撃、その尋常でない「吹け上がり」の鋭さ、その異様な「レスポンス」の迅さ・・・・に、「このスープ、明らかに普通じゃない・・・」と身震いを覚える。
普段出会うラーメンスープとは、「吹け上がり」がまるで違うのだ。まるで、アクセルに軽く足を乗せただけで、いきなり「8000回転」まで一瞬で跳ね上がり、さらに「10000回転」のレッドゾーンに飛び込もうとする・・・・フォーミュラーカーのレーシングエンジンを彷彿とさせる。その「吹け上がり」の異様な鋭さに、私の腕に「ゾゾゾゾ・・・」と鳥肌が立ち、背筋は「ゾクゾク・・・」と震え、ハートは「ビリビリ・・・」と痺れてしまう。
この異次元の「超高回転域」の吹け上がりの鋭さに比較すれば・・・・他の一般のスープは「乗用車」のユル過ぎる普及型エンジン・・・・もしくは、更にレスポンスの鈍いトラック用の「デイーゼルエンジン」にさえ思えてしまう。

二口目にして、ようやくその「味」の正体の片鱗が判り始める・・・・。
この「高回転さ」「瞬速さ」「驚速さ」は・・・・「鶏の味」に由来するのは間違いない。「豚骨の味」の伝わり方はもっとズシッと重くて遅いのだ。
店主氏のブログを拝読すると、どうやら鶏の中でも高価で貴重な「奥久慈しゃも」を使ったスープであるらしい。そして両脇を固める程度に微細な「カツオ」の風味が控えているようだ。
「軍鶏」(シャモ)の旨味は、勇猛な闘鶏独特の気骨がありながらも、極めて上品であっさりとしているが、果たしてどのように仕込めば・・・・このような「トルネード」、「ハリケーン」、「サイクロン」、「タイフーン」・・・・のような、驚速の「うなり」を上げるスープになるのであろうか。

二口目も・・・・「一発」のパンチをくらったのかと思うと・・・・実は、一瞬にして、閃光の如き「四、五発」のパンチやキックをくらっていたかのような・・・・まさに「K−1頂上決戦」感覚、あまりに速過ぎて、目にも止まらない、何が起きたのかすぐには判らない・・・・見えないパンチとキックの連打・・・・を受けている感覚だ。
いやはや・・・・「スロービデオ再生」と「リングサイドの解説者」がいない限り、私のような素人には、この「凄さ」の真の意味さえ永遠に把握できないだろう。


そうして、スープを二口ほど飲んだところで、いよいよ三河屋製麺の「SUPER特注麺」に取り掛かった。
これまた・・・・一口すすって驚愕である。「こ、これが・・・・中華麺なのか・・・・?」。

第一印象は・・・・とにかく、麺の表面が・・・・「異様に滑らか」であると言う事だ。とにかく、「滑らか」「滑らか」「滑らか」「滑らか」「滑らか」・・・・。
この異様な「滑らかさ」は、今まで一度も見たことも、触った事もない・・・・未体験の「新素材感」であり、摩擦係数を限りなく「ゼロ」に近づけた、究極の「研磨感」、至高の「滑空感」である。

この未体験の「ウルトラ・スベスベ」&「スーパー・ツヤツヤ」感は・・・・もし、何かに例えるならば・・・・・ズバリ、「ハリウッドの若手トップ女優」や「NYのスーパーモデル」、「大富豪セレブリティ令嬢」・・・・の「くすみ」や「荒れ」が一つもないピカピカの美肌、明らかに「大衆」や「庶民」とは異なる、「第一級のプロ」としての完璧な手入れと「超一流の育ち」ならではの豊かな栄養の行き届いた光輝く「高貴な美肌」を連想させる・・・・(触った事ないけど)。
さらに、単にすごくきれいな美肌と言うだけではなく、普段に見慣れた「東洋女性」の美肌とは、明らかに「異質の滑らかさ」・・・・同じ人間でも「素肌感」が根本的に違う、まさに「異国」的な・・・・「西洋女性」の肌を連想させられてしまうのだ。

もしくは、金属製のパイプ椅子に腰掛ける時に・・・・従来の中華麺の多くが「軟鉄」のグラグラするヤワヤワな安っぽい座り心地であったり、どのような名店の中華麺であってもせいぜい「鋼鉄」や「鋳鉄」程度のずんぐりとしたパイプ椅子の感触であったと仮定すれば、こちらの三河屋製麺のスーパー別注麺は・・・・まさしく、21世紀の「チタニウム超合金」製の幾何学デザインの椅子に座るかの如き・・・・誰の感覚にも「明らかに創りが違う」事が判る、目の覚めるほどの「最新」世代の素材感に満ちあふれていると思う。

さらにその「剛性感」と「気密性」も、実に凄まじい物がある。
この感覚を、もし何かに例えるなら・・・・新世代の「新幹線」の快適で滑らかな高級感あふれる乗り心地のイメージだろうか。
「まったく音も立てず」、「一切揺れもせず」、ホームを無音のまま「滑る」ように加速して行き、数分後には時速270Kmに到達する・・・・「新幹線」。
その素晴らしく「高性能」で極めて「滑らかな」乗り心地、200Km超で高速巡航するための特別な「剛性感」と「気密性」を持つ超高性能のイメージ・・・・だろう。中でも最新テクノロジーの塊りであり、時速300Kmと言う異次元の速度で巡航しつつも驚異的な「客室静粛性」を実現したと言う最新型「N700系」新幹線の「高品位」にして「ウルトラ・スムーズ」な乗り心地・・・・のイメージが最も相応しい。
「山手線」や「中央線」等の在来線(=今までの中華麺)の・・・・車体の壁や扉が薄く、床やサスペンションの剛性が低く、線路の段差で常に「ガタン、ゴトン」と大きく揺れ、何かにつけキシミや不快な騒音を立てる乗り心地との・・・・あまりに大きな「格の違い」、埋めがたい「ポテンシャルの差」を肌ではっきりと感じる。

そして、口中に入った麺は・・・・こだわりの「細麺」と言うことで、もっと「ゆるやかな」麺を想像していたのだが、意外なほどに「弾力」に富んでいて、「プリン、プリン」とスーパーボールのようにイキイキと弾む力感があり、とにかくビビッドに良く動き回り、若々しく良く弾む麺である。それでいて、麺の「エッジ」が舌に触らず、ツルッと滑らかな心地良い「丸太感」があり、「プクッ」とした歯触りの愛嬌も備えている。
この一連の動きと食感こそが「理想のグルテン組成の成せる業」であり・・・・「麺のコシ」の究極の姿であるのは疑う余地がない。単に「硬いだけ」の低レベルな麺とは雲泥の差である。

いざ、噛めば・・・・「モチモチ」「ムチムチ」として、小気味良い粘りもあり、噛む楽しさもある。また、小麦粉の風味はあまり感じられないのだが、高級な小麦粉を使えば使うほど、「小麦風味」の源である「灰分」が少なくなるので、これはむしろ予想通りといえる。むしろ、穀物臭さがないことで、野暮ったさのない、実に「気高く麗しい」、なんとも「洗練された」食味の麺とも言え、普段の生活では「決して出会わない」味であり、今までの「ラーメン業界」には存在しないレベルの美味だと思う。

もちろん「茹で加減」も完璧であり、加えてデリケートな「細麺」であるにもかかわらず、最初から最後まで「絶品の食感」が一切変化しないのにも驚かされた。何と言うか、アツアツのスープに長らく浸っていても、一切、「衰える」「ダレる」「ノビる」感じが全くないのだ。
つまり、この麺は・・・・究極的に滑らかなツルツルお肌であるだけでなく、「皮膚が厚い」「鍛えられている」感じがある。
麺を「プルッ」とさせる弾力効果のある「卵」を使っているのだろうと思うが、卵臭さがないので、おそらくは、「卵白」をメインに上手く使っているのだろうと思う。そして、ここまでの「ツヤツヤ感」を出すには、安価な業務用食材の「卵白粉」ではなく、新鮮な「生卵の卵白」を贅沢に使っているのではないだろうか・・・・。また、小麦粉に少量の「片栗粉」などを混ぜると麺のツルツル感や滑らか感が増すとは言うが・・・・。
さらに、通常、こう言う路線の麺を作ろうとすると・・・・どこか「スパゲッティ」のような麺になってしまう気がするのだが、こちらの麺は、全くスパゲッティぽく感じないのも素晴らしい。
「スープ」も凄いが・・・・「麺」も凄い。まさに、「三河屋製麺」の実力恐るべし・・・・である。

この「スーパー特注麺」の美味しさは・・・・・単なる「高価な小麦粉」の配合だけで出せる味ではないと思う。もしそうであれば、既に過去に、少なくともこれと「近い味」を持つ麺に、どこかで出会っているはずだが、そのような記憶が一切ないのだ。
おそらくは、贅沢過ぎるほど贅沢な原材料の厳選セレクションに加え、究極の軟水である「純水」の使用、事前の徹底した小麦粉の「ふるいがけ」、卓越した「ミキシング(こね)」と、小刻みで精緻な「圧延」の技術・・・・等の賜物なのだろうと想像する。
特に小麦粉を使った「麺の命」は、ズバリ、いかに「グルテン」組織を上手に形成させるかだと言う・・・・。そのグルテン組織の出来は、たとえ同じ小麦粉を使ったとしても、「水回し」や「こね」や「圧延」の上手さ、その念入りさで大きく左右されてしまう。
つまり、手間を省いて1〜2回の圧延で強引に延ばすと、「麺」にとって最も大切なグルテン組織の網目を切ってしまうため、舌触りや歯応えが悪くなるのだ。そう言う意味では、この麺はおそらくは麺帯圧延の「回数」を通常の3倍位かけて丁寧にやっているのではないだろうか。

ではなぜ、少ない回数に圧延を簡略化してしまうかと言えば・・・・「生産性の向上」「時間の節約」のために他ならない。「タイムイズマネー」・・・・「手間」の多さは当然に単価に跳ね返る。プロの製麺業者にとって「原価」とは小麦粉の単価だけではなく、商品生産ラインを占領する「時間」や「電気代」もまた大きな「原価」なのだ。
ゆえに、単価の安い普及品の麺では、小麦粉やカンスイの質だけでなく、どうしても「こね」や「圧延」も、「それなり」の仕上がりとなってしまう訳だ。
一般に、製麺のプロであり何千万円と言う高価な製麺機と豊富なノウハウと長年のキャリアを有する「製麺所」の麺よりも、機械もノウハウもキャリアもすべて劣るはずの「個人の自家製麺のお店」の麺の方が美味しいと感じたりするケースがあるのも、要は「手間」や「こだわり」を思う存分に投入できるからに他ならないのだろう。

過去にも随分と素晴らしい「ストレート細麺」と出会って来たが、それらよりも明らかに数段も「上」であり、私の知る限りでは現段階で二位以下を圧倒的に引き離し・・・・間違いなく機械製麺の「最高峰」であると確信させられてしまう。コストの制約から解き放たれたとは言え、ここまでやれる製麺所があったとは・・・・正直、想像を遥かに超えていた。
そして、「スープ」と「麺」のそれぞれが素晴らしい「絶品」であるだけでなく、何よりその「相性の良さ」は100点満点だと思うし、「お互いのランクの一致」具合も文句なしだ。
まさに、出会うべくして出会った・・・・「両雄」。ついに、「歴史が動く」のか・・・・とさえ思える運命の出会いとはこの事だろう。

そして、店主氏の目指したとおり、「水」や「カンスイ」の雑味も文字通り「絶無」・・・・と感じられ、スープと麺の一体感は、ここに「極まれり」と思えた。
しかし・・・・その一方で、「中華麺」として保守的に考えると、今まであまりにも馴染みがないと言うか、「凄い麺だが・・・・一体、この麺の国籍は・・・・?」とも考えてしまう。
普段から親しみ慣れた「小麦粉の灰分」や「水」や「カンスイ」の風味が感じられないのは、まるで言葉の通じない外国人と同席するようであり、あまりにノビノビと良く弾むスラリとした動きは、アジア人とは違う手足の長さを持つ大柄な体格の欧米人・・・・を連想してしまう。

また、確かに・・・・麺とスープの一体感は「無類」ではあるが、逆に言うと、まるで演劇の舞台に「双子」が出演しているようで・・・・「麺」と「スープ」の味が、次第に「同じ味」に感じられてしまい、最終的には両者の味の区別が付かなくなって来てしまう。こうなるとステージ(丼の中)に「二人」で出演している意味が薄れて来てしまうような気がして・・・・やはり、「麺」は「麺の味」がした方が良いと言う人もいるのではないだろうか。
いずれがベターかは好みにもよるとは思うが、「役者が二人いる事の意味」をもう一度考え直すためにも、一度、比較の意味で、普通の「お湯」で茹でた麺でこのラーメンを食べてみたい気もする。

ただ・・・・実は・・・・ここで、私は致命的な大失敗をしてしまった。
「麺の味でスープが濁らないように、麺をスープそのもので茹でる」・・・・と言う話が念頭にあったため、「試しに麺をかき混ぜてみて、スープが濁らないかどうか試してみよう」と思い、麺をスープの中で数秒間グルグルかき混ぜると言う「愚行」を犯してしまったのだ。
そうして、麺をかき回してしまった後のスープを飲んでみると・・・・10000rpm位あったエンジン回転数が、まるで6000rpm位まで落ちてしまったかのような・・・・明らかに「パワーダウン」したイメージになってしまい、以降、二度と「うなり」を上げる事はなくなってしまった。
つまり、「麺をスープそのもので茹でる」ことで、麺の風味のスープへの影響は、他とは比較にならないほど「最小限」にはなったものの・・・・非常に厳密なレベルで言えば・・・・決して「ゼロ」になった訳ではない・・・・と言う事実を悟った。

要は、それ位に、異様に研ぎ澄まされた、非常に「ナーバス」な・・・・凄まじく「デリケート」な・・・・恐ろしく「ピーキー」な・・・・数々の条件が完璧に揃った下でのみ「真価」を発揮する、極めて「シビア」なスープなのだろう。
まさに、「超高性能」ゆえに非常に厳密なチューニングが要求されるレーシングカー等の「競技用エンジン」並の「ピーキーさ」と言う印象を受ける。
そう言う意味では、完璧に乗りこなす(食べこなす)には、食べ手側にも、それなりのテクニックやセンスが要求される気がする。
実際に今回、私はちょっとしたスポーツタイプの車の試乗に来たつもりが、いきなり本物の「フォーミュラーカー」に乗せられてしまったようで・・・・次元が高すぎて、シビア過ぎて、あせってギクシャクしてしまい、いきなりの「サーキット走行」でステアリング操作(食べ方)を少々誤ってしまったようだ。

「麺」を食べ尽くし、最後に二口分ほど残したスープを、敢えて良く冷ましてから飲んでみた。
「熱々のスープ」はその熱さゆえ欠点が見えづらいが、「冷えたスープ」は熱による誤魔化しが効かず、一般に「馬脚」が現れ易くなる。
そうして味わったスープは・・・・まさしく、「奥久慈シャモ」の肉に塩を振った味・・・・である。以前、銀座の有名な焼き鳥店「バードランド」で奥久慈シャモの焼き鳥を食べた事があるが、その「正肉」の味を思い出す。こちらのスープは、軍鶏の気高い闘鶏のエネルギー感を内包しつつ汚れなき味わい、脂が少なく上品で淡白な味わいを、そっくり見事に「取り出して」いると思う。

そして、そのシャモの風味を100%生かすためか、豚骨は「絶無」か、もしくは極めて少量に抑えているように感じられ、非常に「奥ゆかしい」「どこまでもピュア」な美味しさだ。
芳醇な「甘味」や「コク」が渦巻く「豊満」「濃厚」路線ではなく、もっと「ストイック」「淡白」な路線である。いわば「赤身魚」ではなく、鯛や平目などの「高級白身魚」の旨味のイメージだろうか。
また、軍鶏の油と言うと「黄金色」に近いイメージがあるのだが、こちらのスープに浮く油は「無色透明」に近く、まるで「濾過」されたかのようにきれいな風味である。鶏に特有の「匂い」と言うものが微塵も感じられないのは、完璧な下処理&火加減、油の取捨の成せる業なのだろうか。

ただ、冷めてしまうと・・・・やや、「塩ダレ」の味が強めに舌に感じられて来てしまう。
もともと私が「薄味好き」と言う事もあるし、初回訪問時の強烈な印象からこちらのお店に対して「かなりの薄味を期待していた」と言う事もあるが・・・・少々「濃い味」に感じられてしまうのだ。
実は、麺を食べている間も、スープ温度が低下するに従い、やや塩気が目立って感じられるようには思っていたのだが、前回のラーメンが「出汁」の遥か後方に「塩ダレ」が存在していたとすれば、今回は、「塩ダレ」が「出汁」と肩を組んで先頭に立っている。
そのため、出汁の美味しさを堪能しようとして、舌が出汁の旨味を追いかけようとすると・・・・やや強めの塩分がしゃしゃり出てきて、舌の行く手を遮る気がしてしまう。
前回訪問時の「禅問答」的な薄味スープの印象に非常に好感を持った私としては、今回のスープは塩ダレがきっちりと増量され、かなりアグレッシブな味付けになっているようで、その「方向性の変化」に、少なからずとまどいを感じた。

しかし、この辺りのさじ加減は、じんわりと徐々に味わいが深まるタイプのスープよりも、やや多めの塩ダレで一口目から強いインパクトで「ビシッ」と決めてゆく事を選択したのだろう。客の立場になった時の「分かり易い味」に配慮すれば、これは正解だと思うし、そのお陰で、舌の上でスープが「うなり」を上げるほどの超絶の「瞬発力」を手に入れた訳だ。

また、「ネギ」や「水菜」等の薬味類が一切入っていないのは、店主氏渾身のスープの味を、何物にも邪魔させないためだと容易に想像できるが・・・・あくまで私的な好みとしては、ぜひ極少量の「薬味」を入れるか、せめて「別皿」で添えてもらえると嬉しい。「薬味」は上手に使うことで、素材からの旨味を、「一点」に集中させ「まとまり感」を与えたり、スープにくっきりとした「目鼻立ち」を加え、適度な「立体感」や、味のきれいな「輪郭」を形成する効果があると思うし、その分、「塩ダレ」を少し減らせる事にもなる気がする。
水にさらして余計な香りを抜いた極少量の微塵切りの白ネギ等なら、さほど邪魔にならないような気がするし・・・・「ネギ」や「水菜」の「シャキッ」とする明瞭な明るい食感、生の野菜のフレッシュな芳香、油を緩和するサッパリ感・・・・このワンポイントの「アクセント」が欠けてしまうと、味わいのイメージが「無地」と言うか・・・・スープのパワーが平均的に分散するように感じられてしまう気がするのだが・・・・。
「薬味の効能」は想像以上に大きな物がある。特に、客の心理としては、単なる「スープ料理」ではなく、あくまで「一杯のラーメン」として食べるのであるから・・・・極わずかな薬味が加わる事で、一層さらにラーメンとして「完成形を迎える」「味が完結する」・・・・と言うイメージがするのだが・・・・どうだろうか。


さて、食べ終えての感想としては・・・・・。
「美味しいラーメンを食べた」と言うよりも・・・・・「凄いラーメンを食べた」と言う感想だ。

食べて「ほんわか幸福な気持ちになれる」とか「ハートウォーミング」タイプのラーメンとは趣きを異にし、どこにも「遊び」や、一切の「緩み」がなく、何とも・・・・「もの凄い世界」に足を踏み入れてしまったと言うか、料理人がプライドをかけて「自分の限界に挑戦する」「自分はここまで出来るんだ」と言う・・・・「プロの技術」を競うための「コンペティション・モデル」的なニュアンスを強く感じる。

おそらく、もともとそう言う路線を目指したメニューなのだろうし、もちろん贅沢極まるスープと、至高の麺の組合せは、誰が気楽に食べても十分に美味しく、素晴らしい満足感を得られると思う。
ただ、少なくとも、このラーメンを食べれば誰しもが「感嘆」はすると思うが・・・・もし贅沢を言わせてもらえれば、ぜひ誰もが「感激」や「感涙」をするラーメンにまで昇華して欲しい・・・・とも思う。
言うなれば、あまりにもクリーン過ぎると言うか・・・・まるで一部の隙もないデザインとレイアウトを施された超一流の空間デザイナー・プロデュースの「高級モデル・ハウス」展示場に足を踏み入れるかのようで・・・・全くチリ一つなく、あまりにも「生活臭」がなさ過ぎると言うか・・・・完璧な「技術崇拝」オンリーではなく、どこかしらに僅かな「人間くささ」や「感情面」、「生活感」のエッセンスも残して置いて欲しい気がしないでもない。

お店を出ると・・・・胃の中に「ジンジン」とピュアな鶏の旨味がこだまする心地良い感じがあり、具はなくとも、意外に腹持ちも良さそうである。
しかし、駅までの道すがら、前回訪問の際に私の背中を稲妻の如く駆け抜けた「インスピレーション」が、今回も体験できるかとワクワクしながら待ったのだが、30分ほど経っても残念ながら、あの自分自身が鮮明に「リセット」される奇蹟のような感覚は起こらなかった。舌のコンディションも、塩ダレが割と舌に残って感じられるせいか、きれいさっぱりと「お掃除」されたような清清しい感覚には至らない。

今回の塩ダレの増量が、果たして店主氏の目指している「真意」なのか、それとも営業政策上のやむなき「戦略」なのか・・・・は不明だが、私としては「味を濃くして得た物も大きいと思うが、代わりに、失ってしまった物もある・・・・」ような気がしてならない。以前の・・・・食べ手の五感を「研ぎ澄ます」、インスピレーションを「呼び覚ます」、全身全霊を「解毒する」・・・・かの如きラーメンとは・・・・どうやら「路線」や「ベクトル」が微妙に変わってしまったようで、多少残念な気もしてしまう。

次回は、もし可能であるなら、ぜひ「塩ダレ少なめ」で・・・・今回の4割カット位の量を希望してみたい。
そして、決して麺をかき混ぜないように、一切スープを濁らせない様に・・・「静かに静かに」「波紋さえ立てず」・・・に麺を頂けば・・・おそらくは、いよいよ前人未踏の領域へと続く「ファイナル・ステージ」への「最後の扉」・・・・が、私の中で開かれる予感がする。

・・・・などと思案していたら・・・・
なんと、この日を最後に、この井之上屋の「かけ」はしばらく中止されるらしく、当面は今回が最終回であったと知り、大ショックを受けてしまった。
お店としては様々な事情があり、様々な判断があっての事だとは思うが、せめて、今回の「特注麺」だけでも残して、ぜひ他のメニューで使って欲しい気もする。
しかし、他のスープとの組合せでは、スープを圧倒的に引き離して「麺」の素晴らしさばかりが独走し過ぎてしまうだろうし、おそらく単価的にも難しいのだろう。

初回訪問時、自堕落な私の舌を見事に弾劾(だんがい)してくれた、
まるで現代の「食の踏み絵」の如き・・・・
まるで「破邪の力」を秘めた聖杯の如き・・・・
まるで「禊」(みそぎ)のパワーを持つ神通力の如き・・・・
唯一無二の「イノセンス・ラーメン」を創れるお店は、世間広しと言えども、こちらの「井之上屋」をおいて、他にはないと思っているのだが・・・・。


(麺は完食。スープも完飲。)










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