ラーメン&つけ麺食べ歩き
玄蔵
(東京都 北区)

(2007/4閉店)

店名 ラーメン 玄蔵(げんぞう)
住所等 東京都北区東十条1-22-6 【地図表示】
禁煙 タバコ可否不明
訪問日 2006年12月上旬 玄流ラーメン 780円
            玄菜麺 880円 
2007年1月下旬 玄菜麺(ベジタリアン) 880円 



〜玄蔵 その1〜



JR東十条駅の南口を出た所です。
「玄蔵」へはこの下り坂を降りて行きます。






坂道を下り終わると、有名な和菓子店「草月」があります。
「黒松」と言うどらやき風の銘菓が人気のお店です。






お店に到着しました。
オープン初日なので生花が飾られています。

東十条駅から徒歩4分程、十条駅や王子神谷駅からも10分程。
左手に見える緑の植込みは「北区保健所」です。







看板には「一杯入魂」「魂のスープ」と書かれております。
が・・・・まだ昼の一時半なのに、暖簾が仕舞われてるぢゃん ヽ(゚Д゚;)ノ

聞けば「現在、スープ調整中」で夕方5時に再開とか・・・。
仕方なく、夕方に再訪する事に・・・。






夕方5時に再訪しますた。
おお、夜の照明も目立ちますなー。
他に待ち客もおり、少しして暖簾が掛かり、入店。






入店してすぐ右側に券売機。
まだ、「味噌」や「つけ麺」は始まっていないようです。

「玄流ラーメン」と「玄菜麺」を購入。






その「漢」の背中には、
「一杯入魂」の「誓い」の四文字が・・・・。

店内はピカピカで居心地も抜群。
厨房の調理機器からモウモウと立ち昇る湯気が凄い。






田中玄氏のご尊顔を、これほどのアリーナ席で・・・。
ドキドキドキ・・・・ (TーT*)

復活初日と言うこともあってか、寡黙な調理振りでしたが、
その横顔は万感の想いを噛み締めていたご様子・・・。










2006年12月上旬 玄流ラーメン 780円
(この写真はクリックで拡大します)



いよいよ再始動した「玄」の第二章・・・・。
まずはこの一杯です。

かっての「玄流塩ラーメン」の復刻メニューだそうですが、
塩ダレ、香味油、薬味などにも随分と力が入り、
その分、ややインパクト重視型にスイッチしたような印象も・・・・。

チャーシュー&メンマも都内屈指の「超絶品」。
舌や体に一切の抵抗なくスープが飲み干せてしまう事が・・・・
今も、昔も・・・・「玄の証」。









丸鶏と豚のげんこつ、節類をベースにしたスープ。
今回のスープはダシの素材感をじっくりと堪能すると言うよりも・・・・
塩ダレや油の味が前面で主張し、一口目からの「インパクト」を優先したイメージ。






非常に滑らかな細麺は、口当たりが「ふぅわり・・・」として優しくソフトだが、
小気味良く「シコシコ」して、微妙に「コリコリ」する芯が存在、噛み砕く食感も楽しめる。
小麦粉のふくよか感が生きていて、カンスイ臭もほとんど感じられない。






田中氏の高い実力と良質素材を象徴する「絶品チャーシュー」。
食べれば、「ホゥワ〜〜・・・」と素晴らしい香りと旨味が湧き立ち、鼻と口を包み込む。
雑味がなく、いかにも「健康な豚」と言う感じで、非常に「良質な美味しさ」です。




2006年12月上旬 玄流ラーメン 780円

1993年春、秋葉原の裏通りに4.5坪の小さなラーメン店が開業した。そのお店の名前は「ラーメン工房めんめん」。店主の名は「田中玄」氏。
当時としては非常に珍しく、化学調味料を一切使わず、天然素材だけを使い、ラーメンの美味しさの可能性を真摯に追究するお店として、次第にその名を知られるようになる。
秋葉原の裏通りにあった、あの小さな「隠れ家」で、当時の田中玄氏の作り出すラーメンのナチュラルで優しい味に深く魅了された人も多い事だろう。
その後も、着実にファンを増やし続け、1999年には「ラーメン創房 玄」に店名を変更する。さらに2002年春、手狭となった店舗を、昌平橋近くに移転し、広くなった店舗を「ラーメン創房 玄 総本店」と命名。

しかし、毎回必ず厨房に立っていた田中氏のお姿が2004年に入る頃から見られなくなり、それにつれ徐々にラーメンの味が変わり、次第にスープを飲み干す事が出来ない味になってしまった。ほどなくして、「玄総本店」は2005年暮れに閉店してしまう。
田中氏のブログを拝読すると、どうやら、2002年春の新店舗移転の頃から、順風満帆に見えたその陰で経営上のトラブルに巻き込まれてしまっていたらしい。

その厳しい試練と雌伏の時を乗り越え、2006年12月、いよいよ満を持して「玄」の第二章が再始動を開始した。
ちなみに新店がオープンしても、日が浅いうちは味が安定しなかったり、まだ実力が発揮できていない可能性が高いので、原則として新店には数ヶ月位経ってから訪問するようにしているのだが、長年のキャリアを持つ田中氏のこと、初日訪問でも問題ないだろうと判断し、私としては珍しくオープン初日に訪問してみた。
しかし、昼の一時半頃に訪問すると、なぜかノレンが仕舞われており、扉を開け伺ってみると「スープ調整中のため、夕方の5時に再開します」との事・・・・仕方なく夕方に出直しての入店となった。

そして、いよいよ・・・・「夕刻」。
薄暮の中、入店して、「玄流ラーメン」の食券を購入。このラーメンは、かっての「玄」の超人気メニュー「玄流塩ラーメン」の味を受け継ぐ復刻メニューであると言う。
実は私が、初めて田中氏のラーメンを食べたのは、確か1997年頃、まだ店名が「めんめん」の時代で、食べたのは「超こだわりラーメン」だったと記憶している。狭い店内だが非常に活気があり、券売機に限定メニューで「バルサミコラーメン」の文字があったのを覚えている。

その後、2002年の春、玄が移転をする直前の旧店舗で、「玄流塩ラーメン」を初めて食べ、その飛び抜けた美味しさ、あまりにも高い完成度、感涙物のナチュラルさに、その場を動けなくなるほどの・・・・鮮烈で深い感銘を受けた。それ以来、その「玄流塩ラーメン」を30回以上は食べたと記憶している。
実は、私のラーメン食べ歩きの中でも、最も回数多く食べた「メニュー」は、何を隠そう、かっての「ラーメン創房玄」の「玄流塩ラーメン」なのだ。
そして、旧店舗で初めて食べた、あの超絶の「玄流塩ラーメン」は・・・・その後「何千杯」の、様々なありとあらゆるラーメンを経験した今もって尚、私にとっての揺るがぬ「リファレンス・ラーメン」の一つとして「燦然」と輝き続けている。

今回、座った席からは、田中店主の姿が良く見えたのだが、その素晴らしいラーメン作りの「手際の良さ」は、ブランクを全く感じさせないどころか、むしろ一層の「磨き」がかかっているように見えた。
復活初日と言うこともあってか、その横顔は「万感」の想いを噛み締めていたご様子で、寡黙な調理振りが印象的だった。
麺茹で器の真ん前の席に座ってしまった事もあるが、店内は立ち昇る蒸気がすごく、もうもうと湯気が立ち込めている。そして、「ニンニク」もしくは「玉ネギ」を加熱したとおぼしき香りが優しく漂っていた。

登場したラーメンは・・・・以前の「玄流塩」と比べると、火加減が強めなのかスープの色がやや濃く感じられた。
さっそくスープを一口飲んでみると・・・・鶏と豚のげんこつをベースに、魚節系をプラスしたスープらしいのだが、ちょっとだけ「塩」が尖る(とがる)感じがある。ズーンとしょっぱさが押し寄せるとか、舌を覆い尽すと言うのではないのだが、塩が鋭角的にとがってチョコチョコと舌に触る感じだ。
そして、飲み口の全体から、「ニンニク」もしくは「玉ネギ」などを加熱したとおぼしき、ユリ科ネギ属の植物に特有の「アリシン」の風味が漂って来る。
ひょっとして表面に浮く油はこれらの香りを付けた香味油なのだろうか。意外にもこのローストガーリックのような匂いが割と強めで支配的だ。揚げネギが散らされているが、あまり「焦がし油」の香ばしさは強くない。

2002年の頃に食べた玄流塩ラーメンは、もっと、「円くて」「柔らかくて」「豊かで」「ふくよか」な素材感にあふれ・・・・特に「鶏」と「昆布」の旨味が二本柱ではっきりと生きていた。飲めば、それらの旨味が「ジンワーーーッ・・・・」と口に広がり、「スーーーーッ・・・・」と舌に浸透し、目に見えないナチュラル・エネルギーが体に沁み入って来るような・・・・まさしく「奇跡体験!アンビリーバボー」の世界であり、本当に「神々しい美味しさ」だった。
その頃のスープは、ダシ、油、揚げネギ、塩ダレの順に味が口へやって来て、塩ダレはフワリとして極めてふくよかで、最後の最後に追いかけるようにしてゆっくりとやって来たものだが・・・・。

その頃のスープに比較すると、今回はまず真っ先に塩ッ気が「ピンッ」と舌に尖って立ってしまい、味が「塩ダレ」から始まってしまう・・・・。パンチのある塩気や油が最初に来てしまうと、その後に続くせっかくの天然ダシの繊細な風味を、舌が感知しづらく感じられてしまうと思う。
ただ、逆に「複雑さ」が増して感じられるのは・・・・「塩ダレ」の組成が複雑になったのだろうか。色々入っていそうだな・・・とは思うものの、その分、塩ダレに頼り過ぎてしまう傾向にならなければ良いが・・・・。

細麺は多加水で非常に滑らか、「ユルユル・・・」と言う感じで唇や舌をなぞるようにして口に入って来る。
口当たりが「ふぅわり・・・」として優しくソフトだが、噛み締めると小気味良く「シコシコ」として、微妙に「コリコリ」とする芯が存在し、滑らかな細麺ながらも噛み砕く食感が十分に楽しめる。味わい的にもほんのりと甘味が感じられ、幾重にも味が折り重なるような・・・・安い麺では到底出せない味わいの奥深さがある。
小麦粉のふくよか感が生きていて、カンスイ臭などもほとんど感じられない。

チャーシューは、ガスバーナーでうっすらと焦げ目が付けられていた。
口に入れた途端、醤油による味付け以外に香味油の風味を身にまとったのか「ホワ〜ッ・・・」と、良い匂いと旨味が口中に湧き立ち、鼻と口を包み込む。
幾重にも取り巻くように豊かな香りと丁寧な味付けが感じられ、口当たりは滑らか、噛めばふっくらとして肉の旨味がどっさり。しかも、やたらと柔らかくトロトロととろけたり、ハラハラと崩れるのではなく、それなりの噛み応えや肉の繊維感を感じさせつつも、非常にジューシーなのだ。いかにも「健康優良児」と言う感じの非常に美味しい豚肉に加え、使われている醤油も素晴らしく美味しい物である事が判る。
このチャーシューは、醤油の味付けが濃くなった事以外、以前の記憶のままの「絶品」の美味しさだった。

メンマは、秋葉原時代の玄のメンマはしんなりと細いにもかかわらず、歯切れがゴリゴリと硬くて、随分と重く粘るイメージがあったが、今回の物は、同じようにしんなりと細いにもかかわらず、とても柔らかくて「遥かに」美味しくなっていた。
コリコリとかパリパリとかのクラック感ではなく、「グニッ・・・」とする何か「煮付物」のような・・・・独特なウェット系の歯応えだが、このメンマを食べた瞬間、その折り重なる奥深い美味しさに、「数分間」時が止まってしまったかのような・・・・衝撃を受けた。正直、間違いなく都内「屈指」の手の込んだ美味しいメンマだと思う。

白髪ネギと水菜は沢山入っているのは嬉しいが、やや麺に絡みすぎてしまい、食感的に少しうるさく感じられてしまう。特に、白髪ネギは麺に混じって一緒に入って来る場面が多く、麺の食感だけを純粋に堪能しようとすると少々のジレンマを感じる事があった。

食べていてちょっと気になったのは、器がかなり平たく、やや「浅すぎる」ように感じられてしまう事だ。そのため、箸が奥まで入らず・・・・器の表面をかき集めながら食べる印象になってしまい、少しだけ食べづらく感じられた。

また、2002年頃の「玄」は・・・・化調ラーメンに負けない「旨味」を追求していたイメージがあるが、今回のラーメンからは化調ラーメンに負けない「インパクト」を追求しているような印象を受ける。
以前のラーメンは「ジワジワ・・・・」とゆっくりと優しい旨味が舌に湧き立ち、次第に押し寄せる「高潮」のようになったものだが・・・・今回は最初から「ガツンッ」とアゴに来る感じで、ダシの旨味を心ゆくまで堪能すると言うよりも・・・・味の伝わり方がやや性急過ぎると言うか、アグレッシブ過ぎると言うか・・・・一口目から「うまい」と言わせたいのか、やや勢い余っての「勇み足」のようなタレの濃度だと言う気がしないでもない。

田中氏が現場から離れていた3年ほどのブランクの間に、様々な自己主張や強いインパクトを持つ新参ラーメンが登場した訳だが、それらには負けたくないと言うような「気負い」や「力み」があるのかどうか・・・・ついつい塩ダレや香味油の量を「増量」してしまったようなイメージを受けた。
ただ、それでも舌に何らの抵抗なくスープが飲み干せてしまうのは「さすが」としか言いようがない。この事実こそが、今も、昔も・・・・「玄の証」に他ならないだろう。

後日、田中氏のブログを拝見すると「再開」が決まってからも店舗改装や仕込みなどでバタバタし、必ずしもご自身100%納得の「万全のスープ」で初日を迎えた訳ではないようだ。
しかし、チャーシューやメンマの「超ハイレベル」な出来栄えを見る限り、田中氏のセンスや手腕は、三年の研究の時を経て、より一層研ぎ澄まされているのは間違いないと思う。

これから新しい厨房に慣れ、仕込みも落ち着くにつれ、徐々に田中氏の目指している味、その実力の全容がいかんなく発揮されて来ることだろう。


(麺は完食。スープも完飲。)




↓続きあり






〜玄蔵 その2〜



2005年4月頃に西浅草にオープンした「玄菜」(閉店)。
田中氏のラーメンを求め、一縷の望みをかけて訪問するも・・・
無情にも・・・既に「入居者募集」の貼り紙が・・・。
(2005年11月撮影)










同上日 玄菜麺 880円
(この写真はクリックで拡大します)



一見、「塩味タンメン」と「味噌野菜ラーメン」のハイブリッド・テイスト。
しかし、食べれば食べるほど・・・飲めば飲むほど・・・

何とも言えず心が「まどろむ」ような・・・
体が「ほんわか」と柔らかく温められるような・・・
全身が深い「慈愛」に包み込まれる感覚に・・・魅了されます。

「舌」で味わうとともに、「体」が喜ぶ・・・「一杯」。
まさしく、「慈しみの味」・・・です。









野菜の旨味が溶け込んだ、「薄口の味噌」と「塩味」のハーフ&ハーフのスープ。
細かな油が浮き、イメージとしては「美味しい肉野菜炒め」の「濃縮汁」と言うテイスト。
野菜の旨味と栄養分に富む、ナチュラルで優しい滋味深い味わい。






先の「玄流麺」に比べ、茹で加減の違いなのか、「シャッキリ」感が増した麺。
細麺ながら麺にハリがあり、良い具合にエッジが立ち、
「パラパラ・・・」と一本ずつが明確に分離して、舌の上で心地良くリズムを奏でる。




同上日 玄菜麺 880円 

「二杯目」に選んだのは「玄菜麺」である。
実は、秋葉原時代の「玄」では、ほとんどのメニューを食べたのだが、この「玄菜麺」だけが未食であった。そのため、果たして「100%ベジタブル食材のラーメン」とは如何な味のラーメンだったのかと・・・・非常に気がかりだったのだ。なぜ未食だったかと言うと、確かに券売機に「玄菜麺」のボタンはあったのだが、運悪くいつも「売切」ランプが点灯していて、あまり常設メニューではなかったようで、さらに2004年に入ると、いつしか券売機から消えてしまっていたのだ・・・・。
と言うわけで、今回やっと願いが叶う事になったのだが、券売機に貼られた説明によると、以前の秋葉原時代の玄菜麺とは異なり、今回は動物性素材も使用しているらしい。今後、別バージョンで「ベジタリアン・バージョン」も提供を始めるとのこと。

ちなみに・・・・秋葉原の「玄総本店」の味が変わり、田中氏のお姿を見かけなくなってから、田中氏の消息をインターネットで検索したところ、どうやら「玄総本店」を手放し、ご自身は「西浅草」の地で「玄菜」と言う小さなラーメン店を開いたと言う情報に行き当たった。さっそく、田中氏のラーメンを求め西浅草の地を訪れ、店舗を発見するも・・・無情にも・・・既に「入居者募集」の貼り紙が・・・・・。この「玄菜」は2005年4月頃にオープンしたらしいのだが、数ヶ月で閉店をしてしまったらしい。

さて、いよいよ登場した「玄菜麺」・・・・まずは、スープを飲んでみると・・・・野菜の旨味が溶け込んだ薄口の塩スープ・・・・と言う印象で、野菜から流れ出すダシの影響か、先の「玄流ラーメン」のような塩気が立つ感じはない。
最初の一口、二口は、味噌の風味も感じられ、どうやら塩味ペースのスープに、隠し味的に少量の味噌を使っているようだ。
しかし、味噌独特のクドさなどはほとんどなく、食べ進むと、中盤からは味噌の風味が目立たなくなり、全体的に柔らかな「塩味」が支配する感じで、野菜の旨味エキスや凝縮したコクがどっさりと溶け込んだタンメンのような味わいに感じられて来る。

非常に細かく刻まれた挽き肉が僅かにパラパラと少量混じり、遠慮がちに肉系の旨味とコクを添えてくれる。この辺の極控えめな肉のバランスは、元々はベジタリアン向けメニューだった名残りだろう。
モヤシは「シャキシャキ」と歯切れが心地良く、新鮮な白髪ネギと相まって、実に爽快な「野菜」の歯応えを楽しませてくれる
中盤からは味噌風味は隠れてしまい、ほぼ「塩味」と「野菜の旨味」メインの印象だが、野菜の旨味もしっかりと、しかも、まろみを持って出ていて、滋養分に富み、滋味深い味わいのとても美味しいスープだ。

ただ、以前「玄菜麺」の写真を見て、楽しみにしていた「蓮根」や「ゴボウ」の素揚げは乗っておらず、代わりと言っては何だが、コンニャクのサイコロ切りや、赤色や黄色のパプリカが入っているのは珍しいと思えた。
このコンニャクの「クニャクニャ・・・」とする口当たりやパプリカの「パキョ、ポリッ・・・」とする歯応えがラーメンに入るのは、札幌味噌ラーメンのような「太麺」なら合うと思うが・・・・細麺の場合、人によっては好みが分かれるかも知れないと思う。

また、麺については・・・・先の「玄流麺」と同じ麺なのだと思うが・・・茹で加減の違いなのか、明らかにこちらの麺の方が「シャキッ」と芯の通った歯応えに感じられた。
最初は「シャキシャキ」するモヤシが絡むせいなのか・・・とも思ったのだが、「麺」だけを食べても、先の「玄流ラーメン」に比べると、随分と「シャッキリ」と背筋が伸びた感じの輪郭や歯応えがあるのだ。
そのため、細麺ながら麺にハリがあり、良い具合にエッジが立っていて、すすれば「シャキッ」としてキレがあり、舌の上で「パラパラ・・・」と一本ずつの麺が明確に分離してリズムを奏でる感じがある。それでいて決して硬すぎずに・・・・ふくよかな素晴らしい歯触り、実に消化の良さそうな優しい舌触りを持つ麺だ。
また、なぜかこちらの「玄菜麺」の方が麺の量がやや多く感じられたが、多めの野菜が一緒になって口に入るせいでボリュームを感じたのだろうか・・・・。

食べ終えての印象としては・・・・「玄菜麺」はマクロビオテック対応で生まれたと言う先入観から、もっと「薬膳」とか、「漢方」とか、「生薬」とか・・・・の世界に足を踏み入れたような、ある意味、「俗世から離れた」ラーメンなのかと想像していたが・・・・どうやら、私の考えていたようなラーメンとは少々違っていたようだ。
いわゆる「塩味のタンメン」とか「札幌味噌野菜ラーメン」などに近いイメージで、その両者の「ハイブリッド」・・・・と言うような印象だろうか。

しかし、実は後で田中氏のブログで知ったのだが、今回の「玄菜麺」は、先の「玄流ラーメン」に野菜をトッピングした形でのメニューであり、そもそも秋葉原時代の「玄菜麺」の「復刻版」と言う位置付けではなかったようだ。
今のままでも十分に美味しいが、欲を言えば・・・・何かもう一つ「シンボル」になるような「具」がプラスされたり、もう少し何か「目玉」となるようなオリジナリティが欲しいような気もしないでもない。

ただ、食べ終えてお店を出てから、5分もすると・・・・心地良い自然な甘味がほんのりと舌に残って感じられる事に気付く。
「何か」がクドく舌にまとわり付くとか、濃い塩気でノドが渇くとか胸焼けするとか、多めの脂で重くモタれるとか、カンスイで胃がキリキリ痛むとか・・・・は「絶無」であり、食後に「ふぅわり・・・」と、「柔らかな」「あたたかな」「優しい」時間が流れるのは、以前の「玄」と変わっていない。

何とも言えず・・・・心が「まどろむ・・・」ような、体が「ほんわか・・・」と柔らかく温められるような・・・・全身が、深い「慈愛」に包み込まれるような感覚が訪れる・・・・。
まるで「聖母マリア」の優しい微笑みを連想してしまう無類の「癒しパワー」を持つ後味だ。

この印象を一言で言えば・・・・まさしく、「慈しみ(いつくしみ)の味」である。
田中氏の作るラーメンは・・・・「舌」で味わうだけではなく、その真価を「体」でも味わえるのだと、個人的には思っている。

こう言う独特な「後味」になるのは、やはり、広く「オーガニック素材」を取り入れているからこその「由縁」(ゆえん)なのだろうか・・・・・。
業界広しと言えども、果たしてこのような「後味」を醸すラーメンを作れる人が、一体、他に何人いる事だろうか・・・・・。

今やラーメン業界も新店ラッシュが続き、日進月歩の勢いで過激に変化してはいるが、この「後味」を経験させられてしまうと・・・・やはり「田中玄」氏は、この業界に、どうしても必要な「最後の砦」であり、絶対に欠く事のできない「偉人」の一人である事を・・・・・再確信してしまう。


(麺は完食。スープも完飲。)




↓続きあり






〜玄蔵 その3〜



前回と比べてメニューが増えました。
長らく念願だった「玄菜麺ベジタリアン」を購入。






「ベジタリアンラーメン」ボタンの
上に書かれたコメント。










2007年1月下旬 玄菜麺(ベジタリアン) 880円 
(この写真はクリックで拡大します)



こ、これほど「美味しいラーメン」が、
この「地球上」に存在していたとは・・・・・。

「脳」が心酔し、「体」が身酔する超然とした美味しさ・・・・。
まさに「DNA」レベルで食べ手を深く魅了する「官能」の一杯です。

田中氏が切り拓くラーメンの新世界、その前人未踏の地平の前では・・・・
今まで無数に食べて来た「鶏」や「豚」が、
遥か「遠い世界」&「大昔の事」のように思えて来ます。

あまりにも美味しすぎて、
食べ始めから、食べ終わりまで・・・・
器から一度も顔を上げられませんでした・・・・。


― Really, No Substitute ―

― 真に、かけがえのない美味 ―









「海の珠」と「山の玉」が
一堂に揃う事を・・・・「珠玉」と言う。

この絶品「鯛ダシ」+マクロビ「野菜の重ね煮」スープは、
従来の「動物性スープ」では超えられなかった味の限界を超越する
まさに「珠玉のスープ」。

今まで経験した事のない美味しさの「ブラック・ホール」に
身も心も吸い込まれて行く感覚・・・・。






「滑らか」&「ふくよか」で、小麦の明るい風味が漂う美味しい細麺。
「麺」をすする事で野菜からの旨味が撹拌され、さらなる豊穣なスープへと七変化。






玄菜麺ベジタリアン・バージョンの「シンボル・パーツ」。
サクッとした歯触りの「レンコンの素揚げ」です。
今回はたまたまか、少々焦がし過ぎ・・・?






「本物の美味しさは・・・本物からしか生まれ得ない」
と言う真理を見事に具現した無化調スープ。

「動物ゼロ使用」でありながらも、
単なる「美味しさ」だけでなく、何より「ラーメンスープ」としての、
完成度の高さに・・・・「感服」「心服」「敬服」です。




2007年1月下旬 玄菜麺(ベジタリアン) 880円 

2007年1月に入って、田中氏のブログに「玄菜麺・ベジタリアンバージョン」の完成発表があった。
先にも書いたが、実は秋葉原時代の「玄」では、ほとんどのメニューを食べたのだが、この「ベジタリアン対応の玄菜麺」だけが未食であった。そのため、果たして「100%ベジタブル食材のラーメン」とは如何な味のラーメンだったのかと・・・・非常に心残りだったのだ。
ただ、今回は動物性素材は一切使っていないものの、秋葉原時代の玄菜麺とは異なり、野菜出汁だけでなく、一般客にも広く受け入れられるよう「鯛」等の白身魚の出汁も若干使用しているとのこと。

店内は・・・・以前も感じたが、ローストガーリック、もしくはローストオニオンの匂いがほんのりと漂っている。
客席に座ると・・・・以前からの「割り箸」と並んで、今回、新たに「塗り箸」が置かれている。「なぜ二種類の箸が・・・?」と不思議に思ったが、しばしの思考の後、「なるほど・・・」と思った。
使い捨ての「割り箸」は日本独特のモノであり、かつ、間違いなく世界の森林伐採を加速し、地球の緑を破壊している要因の一つだ。いくら建築端材(余った木っ端)が主な原料とは言え、世界中が「リサイクル社会」に努力している趨勢の中で、外国から大量に輸入までして「割り箸」を連日無制限に消費し続けるのは・・・・日本として誇れる事ではないだろう。
まして、メニューやコンセプトで「マクロビオテック」や「オーガニック」を謳いながら、割り箸を使い捨て続ける事に加担するのは「いかがなものか」と配慮しての、今回の「塗り箸」の設置なのだろう。ただ、いくら洗うとは言え、他人の使った箸に抵抗を持つ人もいないとは限らないから、使い捨ての「割り箸」もそのまま併設して置いているのだろう。なんとも・・・・「気配り」に富んだ配慮である。

さて、いよいよ登場した「玄菜麺 Vegetarian Version」。
本来、「蓮根の素揚げ」は二枚が定数のようなのだが、どうやらたまたま一枚がピタッとくっついていたらしく、広げてみると三枚乗っていて・・・・ちょっと得した気分になった。
スープには僅かに油が浮くが、動物性の脂とは異なるためか、非常に粒子が細かく、白っぽい事に気付く。

まずは、レンゲでスープを一口飲んでみると・・・・・一口目から明確に舌を捉える何とも「超然」とした美味しさ。
「な、なるほど・・・・」「こ、これが・・・・」「これが幻のベジタリアン・スープか・・・・」。

秋葉原時代、人気絶頂のまま、幻のラーメンとなってしまったと言う「玄菜麺ベジタリアン」。
何より、直感的に「ハッ」とさせられる未体験の素材構成による「驚き」と、想像を遥かに超えた美味しさによる「歓喜」の感情が・・・・交錯しながら私の体を貫き、舌先を震撼させる。
過去に食べて来た何千杯と言うラーメンのスープとは、相容れないその「根本的に違う味」に、「驚き」の感情が湧き上がるのも束の間・・・・続けて「美味すぎる・・・」と言う歓喜の感情が押し寄せ、「驚き」の感情を一瞬にして抑え込んでしまった・・・・。

まず、最初に「驚き」を呼ぶ要素だが・・・・スープは動物ゼロのお陰か、非常に口当たりが柔らかいスープであるが、真っ先に感じるのは、意外にも「野菜」ではなく、「上品な鯛」の超絶の美味しさであった事だ。
あっさりとした野菜ダシを予想していたこちらの舌の意表を突いて、なんと、「真っ先に」「くっきりと」「あでやかに」・・・・優雅な海の女王「鯛」がトップバッターで登場する事に驚くとともに、その「鯛」のダシが今まで味わった事もない素晴らしい美味しさであり、二段構えの「サプライズ」に襲われる事になる。

それにしても、なんと、見事な「鯛のダシ」の美味しさだろうか・・・・「海のクイーン」たる鯛の称号に相応しい、女王の風格を湛えた素晴らしく高貴な「鯛」の味である。
これほどまでに、鯛の出汁が「ほんのり」と、かつ、「くっきり」と、素晴らしい「鮮明さ」と「美しい輪郭」で味わえるスープは初めてだ。
過去にも、沢山の「鯛出汁」系のラーメンを食べた経験があるが、いずれも鯛の「アラ」や「骨」だけからダシを取っているのか、あまりにも鯛の旨味や風味が淡すぎ、弱すぎて、「言われなければ判らない」レベルの鯛の味しか感じられないラーメンが多かったが、こちらのスープは、一口目からはっきりと判る「鯛のリアリティ」に満ち満ちている。
特産品として珍しい「鯛の煮干」などもあるようだが、果たして、どういう手法で、どれだけの量の「鯛」を使えば、これほどの「鯛」の気品とリアリティを持つ洗練されたスープが誕生するのだろうか・・・・。
もちろん、スープの味は「鯛一色」なのではなく、比率的には野菜ダシの方が上回っているのだが、想像を遥かに上回る「鯛」の美味しさのインパクトに、一口目のスープはすっかり「鯛ダシ」のトリコになってしまった。

そうして、少し冷静になって二口目のスープを飲んでみると・・・・その「クイーン」を優しく見守るように包容する・・・・まさに「キング」たる者の存在として、頼もしい「野菜ダシ」の姿へと意識が移る。
これがまた・・・・・野菜ながらも、重層的と言うか、折り重ねられた「旨味の厚み」「ほとばしる勢い」があり、まさしく、「大地の滋養分」が結集し、この器の中に「王国」を築いたかの如き・・・・非常に「結実」&「充実」感のある美味しさだ。決して、「ライト」&「シンプル」ではなく、大地に深く根を張ったような、大地から湧き上がって来る・・・・大いなる「土の恵みパワー」「根菜の生命力」の凝縮テイストである。

この「玄菜麺ベジタブル・バージョン」は・・・・30種類以上にも及ぶ野菜を、マクロビオテック特有の調理法の一つである「重ね煮」の手法で仕込んだスープという事らしい。
無化調で、無アニマルのスープと言うと、どこか「精進料理」のようなあっさりとした味になる印象を持っていたが、30種類もの野菜が幾重にも重ねあって連合を組んだスープだけあって、かなりパンチのあるスープであり、「次々にレンゲが進む」強い感覚がある。もちろん使われている野菜の品質自体も素晴らしい事も影響しているのだろう。
そこへ鯛の可憐で上品なダシが艶やかに華を添えている。野菜の「大地」の美味しさに、この上品な「鯛のエッセンス」が加わる事で、何とも言えない華やぐ「色気」「ときめき」が生まれている。
もし、これが「カツオ」や「煮干」等の乾物では、このような「優美」なスープには到底なり得なかったところだろう。

塩ダレは、見事にスープと同化し、優しく舌をなでる「羽毛」のような「フェザータッチ」の風合いである。塩味が、まったく尖らず、優しく優しく・・・・舌に味を添えて来て、まさしく「伴唱」するイメージ。
スープはまるで醤油のような茶色をしているが、これは主に野菜素材の「加熱」による茶の色だろう。キャベツやタマネギをフライパンで長時間炒めると、次第に茶色い飴色に変わるが、それと同じ現象の色であると思う。おそらくは、最初に素材をある程度炒めてから炊き込んでいるか、マクロバイオテックは食材の「陽性化」のため「長時間炊き」を推奨している事と関係しているのかも知れない。

一方の「麺」だが、使われているストレートの細麺は、以前に食べた物と変化はないようだ。
ただ、今回は多少茹で時間が長かったようで、ややユルめの食感に感じられた。特に、スープを吸いやすいようで、時間の経過とともにやや「かさ」が増える感じがある。それでも「滑らか」&「ふくよか」で、カンスイ臭さがなく、小麦の明るい風味が漂う美味しい麺である。いたずらに独立して歯応えや味を主張する事がなく、主役はスープに譲って、一歩後ろに下がって控えている感じがあり、このラーメンのキャラクターには非常に良く合っていると思う。

ただ、いざ麺を食べ始めて、麺とともに野菜が撹拌され始めると、野菜トッピングの汁がドッと溶け出すらしく、スープには野菜の旨味のウエイトが増して来て、中盤以降は、鯛のダシはやや影を潜めてしまう。鯛の上品で優雅なダシをゆっくりと堪能したければ、麺に箸を付ける前に、最初に十分に堪能して置くのがベターだろう。

白髪ネギは硫化アリル系の余計な辛味がなく、歯や舌にサワサワと触れるフレッシュな歯触りが絶妙。水菜も、まったく「青臭さ」がなく、清冽で鮮やかな風味が満開である。おそらくは、両者とも仕込み段階で、適度に水にさらしてあるのだろうか。
糸唐辛子も、たまたま噛まれた瞬間だけわずかな辛味を放出する程度で、ほぼ彩りに徹している様子。いずれの薬味も決して出しゃばらず、スープや麺に寄り添って「ふわっ・・・」とする立体感を加え、全体の優しいハーモニーに一層の目鼻立ちを加えている。

具の「モヤシ」も「キャベツ」も最高の炒め加減で、歯触りが素晴らしい美味しさ。決して火の通しすぎの「クタクタ」「シナシナ」ではなく、かと言って生っぽさの残る「シャキシャキ」「パリパリ」でもなく、その中間の「最良」の落とし所を見事に探り当てている。
特にキャベツは、一月は「キャベツの旬」と言う事も関係しているのかも知れないが、甘味があり素晴らしい美味しさ。
外側のフニャフニャとした柔らか過ぎる薄い葉がほとんどなく、適度な厚みを持った「中間層」だけを使って、野菜繊維が細密でありながら、見事に柔らかな火の通り具合であり、「サクサク、シックリ・・・」と歯が入る歯応えと、ほとばしり出るジューシーな旨味が堪らない美味しさだ。

ただ、トッピングされた「レンコンの素揚げ」は、今回たまたまだと思うが・・・・濃い焦げ色からも判るように、やや揚げ過ぎのように思えた。
実際に食べてみると、カリッ、パリッとひび割れて、まるで厚く切ったポテトチップのような食感であり、少々の「焦げ臭」が鼻に付き、味的にも焦げによる「苦味」が中心になっていて、「蓮根」のネットリとした食味は感じられなくなっていた。
この苦々しい味わいは・・・・「薬膳系」の演出のようにも受け取れるが、全体の中で考えると、結構「浮いて」いて、後味的にも「苦味」がスープや麺の味にかなり影響してしまう。もう少し低めの温度の油で揚げるか、早めに油から上げて、蓮根の本来の持ち味である「ホクホク感」や「ムチンの粘り気」が残る程度に揚げてくれると嬉しい気がする。
「素揚げのゴボウ」は、非常に細く切られている事もあって、「ワラワラ」とした糸状の食感が口蓋をくすぐる。こちらは揚げ加減もちょうど良く、まさに「ゴボウ」の持つ「土の味わい」が楽しめる。

また、前回の初訪問時、少々疑問に感じられた点が、今回見事に改善されていた事に気付き、「さすが」・・・・と感じた。
実は前回、長めの細麺を食べていて、時折混じって口に入るサイコロのような立方体に切られた「コンニャク」のクニュクニュする厚ぼったい歯応えが、何とも邪魔に感じられた。せっかくの「しなやかな細麺をすする」と言う快感に、その四角い弾力を放つ食感が混じると、違和感を感じ、麺のすすり心地をスポイルしてしまうのだ。
そのコンニャクが今回は、真四角の「立方体」ではなく、平たく細い長方形の「短冊型」に切られている。そのお陰で、麺をすする「線」の流れの中に、コンニャクの食感も上手く同化するようになった。

また前回、同じくサイコロ状に切られていた「パプリカ」のパキョ、ポキョと大袈裟な音を立てる四角い食感も、ストレート細麺をすする中で浮いてしまっていて少々気になっていたのだが、今回は、パプリカも細長い「糸状」に切られていて、見事に細麺の集団の中に同化し、鮮やかな彩りと香りを添える「メリット」だけを感じられるようになっていた。
結果として、器の中の「全参加者」の足並みが完璧に「揃い切った」状態となったように感じられ、食べていて食感を乱す違和感が全くなくなっていた。

さらに、前回、ラーメン丼の平べったい形状にやや疑問を感じたのだが、この玄菜麺ベジタリアンを前提に考えれば、モヤシや白髪ネギや水菜をこんもりと盛り付けるためには「必然」な器の形であることに気付いた。できれば野菜トッピングのない「玄流麺」では、もっと深い器の方が合うような気がするが、おそらく棚のスペースに余裕がなく、一種類の器を共用する事になったのだろう。

美味しさに洗脳されるままに、「麺」と「具」を食べ尽くし、最後に二口分ほど残したスープを飲み干しそうになるのを、「グッ」と堪えて・・・・敢えて良く冷ましてから飲むことにした。
「熱々のスープ」はその熱さゆえ欠点が見えづらいが、「冷えたスープ」は熱による誤魔化しが効かず、一般的に「馬脚」が現れ易くなる。

そうして味わったスープは・・・・まさしく、まろやかで、柔らかで、温かで・・・・どこまでも深い「滋しみの味」・・・・である。
野菜と鯛のダシがマリアージュして、非常に「柔らかな」「ふくよかな」味・・・・しかし、決して「淡く」「弱く」はない、湧き上がる「力感」のある「はっきり」とした味わい。
決して「表層的」な味付けでは出せない味・・・・そして、動物性ゼロゆえの、非常に「軽やか」「柔らか」で「優しく」「スムーズ」な、何とも独特の「シルキーフィール」。口当たりの「重さ」や「クドさ」が絶無であり、「味の引き際」が素晴らしく美しい事も特筆に価する。

冷めてからも塩分は、多すぎず、少なすぎず、存在感はなくはないが・・・・あまりに絶妙で、全く邪魔になることはない。
最初の一口からいきなり「美味い」と思うラーメンは、大抵、中盤以降、「味が濃すぎる」「食べ疲れする」と感じてしまうケースが多いのだが、こちらのラーメンはたっぷりと乗せられる淡色野菜のお陰で、食べ進むに連れ、撹拌された野菜から出る水分やカリウムで、塩味が絶妙に溶き延ばされ、味の濃度が右下がりの曲線グラフのように緩やかに変化するので、「全ての一口」が美味しい。

繰り返しになるが、野菜と白身魚のみのスープと言うと、いかにも「大人しい」「押しが弱い」と言う先入観があったが、繊細ではあるものの、決して大人しくはないし、ましては「弱さ」などは微塵もない。豚骨スープ等に遜色のない「パワー」「押し出し」のある旨味である。
「根菜系」を中心とした30種類にも及ぶ野菜と言う事なので、何か一つの野菜の味ではない訳だが、どうも「ゴボウ」がキーテイストの一つになっているような気がする。また、野菜を多く使うとスープが甘くなってしまい勝ちだが、そのような迎合的な「甘味」はなく、深い深い「滋しみの味」だけが感じられる。ニンジンや、キャベツ、玉ネギ等はラーメンのスープ作りに良く使われるが、いずれも煮込むと甘味が出てしまうので、どうやらこれらの野菜がメインではないようだ。

この「ベジタリアン・スープ」・・・・「どういう味?」と問われても・・・・過去に類例のないタイプの美味しさなので、何とも表現が難しい。
もし、敢えて近い味を探すとすれば・・・・「根菜」系の野菜のダシがどっさりと溶け出た絶品の「けんちん汁」(ゴマ油抜き)をベースに、「葉野菜」系の絶品の「野菜炒め」の汁を加え、これまた絶品の「鯛のお澄まし」を加え、塩で優しく味を調えたイメージ・・・・が近いような気がするが、さらに幾つも隠し味があるようだし、実際、もっとずっと「重層的」で「濃密」で「豊穣」な味わいである。

しかも、何より感心した事は、「ラーメンのスープ」としての完成度も、素晴らしく高い次元でコンプリートされていると言う事だ。
つまり、単なる「美味しい野菜スープに麺を入れてみた料理」・・・・で終わっているのではなく、きちんと「ラーメン」として、これ以上いじりようがない完成形になっている事が・・・・何より凄いと感じる。今まで誰もが必須と思っていた「動物素材」を一切使わずに、しかもその事を食べていて意識さえさせないほど美味しい「ラーメン」に仕上げ、食べ手に最大級の満足を与える事が、どれだけ「凄い事」か・・・・・ラーメンに詳しい人ほど、この事実の「偉大さ」が理解できると思う。
まさに、田中氏のセンスと、ノウハウと、情熱に・・・・「脱帽」である。


大満足とともに、ラーメンを食べ終えると、判ってはいても、やはりえも言われぬ激しい「幸福感」に全身が襲われた・・・・。
食べる前は、「玄菜麺ベジタリアン」はマクロビオテック対応で生まれたと言う先入観から、もっと「薬膳」とか、「漢方」とか、「生薬」とか・・・・の世界に足を踏み入れたような、ある意味、「俗世から離れた」ラーメンなのかと想像し、また、「野菜コンセプトありき」で、「味は二の次」なのかも・・・・と想像していたが、それが完全な誤解であった事を強く反省する事になった。
どうも「三年のブランク」で、田中氏のラーメンのイメージとして「ナチュラルさ」「クリーンさ」「ヘルシーさ」ばかりが念頭にあったが、実は、何よりこれほど「美味しいラーメンを作る人」であった事実を再確信させられ、改めて「感服」「心服」「敬服」してしまう。

食べ終えてみると判るのだが・・・・この「ベジタリアン・ラーメン」・・・・「美味しさが脳天へと突き抜けて行く」・・・・ような「炸裂タイプ」ではない。
逆に、「美味しさに魂が吸い込まれて行く」・・・・「ブラックホールタイプ」スープの傑作である。私の知る限り、その中でも「筆頭」の存在だと思う。
まるで、私の魂がグイグイと器の中へ吸い込まれるような感覚・・・・飲めば飲むほど、見えない「強烈な引力」に引き込まれ、私の姿勢が、どんどん、どんどん「前かがみ」になって行ってしまう・・・・・。
「美味しい」と言う味覚の次元を大きく超えて、目の前の器以外、周囲の景色がまったく目に入らない状態・・・・食べ始めれば、食べ終わるまで、「体が言うことを利かなくなる」・・・・まさに「麻薬的スープ」に近い、まず滅多に体験できない衝撃の美味しさなのだ。

結局・・・・一口目を食べ始めてから、最後の麺の一口を食べ終えるまで・・・・器から「一度も顔を上げることができなかった」・・・・。
美味しすぎて「金縛り」に会う事は、今までも数回経験して来たが、さらにその現象が極まった「最上級」の状態が、この「器から顔が上げられない」と言う状態なのだろう。
いやはや・・・・このような経験は、長い食べ歩きの中でも過去に一例もなく、実に初めての事であり、まるで、「魔法にかかった」か、「何物かに憑依された」かのようで・・・・「美味しさ」が極まると、こう言う体験をするに至るのかと・・・・・実に驚いてしまった。

こう言う無化調系の超傑作スープと出会うたびに、私の中で深まって行く一つの「確信」がある。
それは・・・・「本物の美味しさは、本物からしか生まれ得ない」・・・・と言う揺るぎのない「真理」である。
こう言う美味しさは、「化学調味料」や「加水分解調味料」をいくら使っても「絶対」に出せないタイプの美味しさであり、かつ、「永遠」に到達する事のできないレベルの世界である。
むしろ、それらを使ってしまっては・・・・使えば、使うほど・・・・この美味しさから遠く離れ、乖離し、相反し、まるで正反対の味に行き着いてしまう。

よく、ラーメンの話をしていると、「美味しければ化調入りだろうが添加物入りだろうが、全く気にしない」と言う人もいるが、結局は、どのレベルの味を目指すか・・・・が重要なのだと思う。
もし、作り手が70〜80点の味を目指すのであれば、確かに化調やたんぱく加水分解物は安価で強力な味方であり、適度な本物素材をベースとして、これらを駆使したラーメンは、70〜80点までの味が「安価」で「容易」で「素早く」出せると思う。
しかし・・・・もし、「100点満点」の味を目指そうと言うのであれば、化学調味料やたんぱく加水分解物は、むしろ、確実に「邪魔者」になる・・・・と、私は思う。

筋金入りのオーディオマニアが何百万円、何千万円もかける「ハイエンドオーディオ」の世界でも、その永遠不滅のテーマは、ズバリ、全く味付けのない「生の音色」の追求 = 100%の「原音再生」に他ならない。
つまり、音響機器による人工的な「味付け」や、不自然な「色付け」をいかに「完璧にゼロ」にまで排除するか・・・・・に、世界中の高級オーディオメーカーは、日夜、鎬を削り、血道を上げ、躍起になっているのである。
ラーメンも、もし「ハイエンドの本物の美味」を真剣に目指して行けば・・・・・間違いなく、「人工的な味」付けや、「不自然な旨味」の増強は・・・・本物の味を乱すだけの「厄介なノイズ」であり、受け入れがたい「美味の歪(ひず)み」であり、許されざる「素材達への冒涜(ぼうとく)」であり・・・・・。
最終的には、徹底排除されるべき「邪魔者」以外の何物でもない事は、言を待たないであろう。

そう言う意味で、頑なに「化学調味料や添加物を一切使わない」ことで、一見、わざわざ「遠回り」をしているかのように見える田中氏のラーメン造りの姿勢は・・・・実は、「100点満点のゴール」へ向けた「最短のルート」を「直進」している・・・・と思える。
そして、「その道」を歩む事で得られるものは、決して「100点満点の美味しさ」だけでは終わらないようだ。
実は、この日・・・・前日に某所で食べた外食に含まれていたと思しき「過酸化脂質」で胃腸が痛めつけられ、下痢気味&体に力が入らない脱力状態で、はっきりと体調が悪かったのだが、「玄菜麺ベジタリアン」を食べた後・・・・驚いた事に見る見る体調が回復し、絶好調となってしまったのだ。

この「劇的卓効」ぶりが、玄菜麺の30種類以上にも及ぶという野菜の陰陽調理の賜物の成せる業なのか・・・・「動けなくなる」ほど美味しいラーメンを頂いた事による「脳内エンドルフィン」分泌の薬効なのか・・・・もしくは、その両方の相乗効果なのか・・・・は判らないが・・・・痛んでいた胃が「ホカホカ」として温もり、脱力状態だった身体が間違いなく「ホンワリ・・・」と優しく癒され、全身に「力」が漲り始めている。
まるで解毒効果と言うか、治癒効果と言うか・・・・これぞ、世に言う「医食同源」「薬膳効果」かと感激してしまう。
その後も、その日一日、あまりの美味体験に、気持ちが「晴れ晴れ」とし、非常に「ポジティブ」な精神状態が持続し、家に帰って夜寝るまで・・・・高揚した「躁状態」のまま、言い表しようのない「幸せな気持ち」で過ごす事ができた。
真に美味しい物を食べると・・・・「笑顔で幸せな気持ちになれる」「はつらつとして元気が出る」とは良く言うが、これほどの「至福体験」パワーを与えてくれるラーメンは、他に経験した類例がない。

どうやら・・・・良質な野菜の美味しさは、実は私達が想像している以上に、遥かに「偉大」なようだ。
「ベジタリアン・フード」や「マクロバイオテック」などの野菜中心の食事は、「力が湧かない」とか「スタミナが付かない」と言うイメージを持っていたが、この日を境に、今までの考え方が完全に「誤解」「無知」であったと反省する事になった。
逆に、今回のような「至福体験」を経験してしまうと・・・・物足りないどころか、むしろ「動物系素材には限界がある」と感じ始めてしまう。従来の「動物性スープ」では、どうしても超えられなかった「限界」や「壁」を、このスープは「超えている」気がするのだ。

このラーメンには一切の「よこしまさ」と言うものがない。
しかも決して、菜食主義者等の一部の人向けの特殊なラーメンなのではなく、誰が食べても、一瞬で、万人のハートを深く魅了してしまうだけの「普遍の美味しさ」を持っていると思う。動物性の脂ぎったアクセクしたイメージから解放され、従来の「脂肪の旨味」に頼ったスープの延長線とは全く別の・・・・新たなる美味しさの「地平」へと続く、未開拓の大きな「新大陸」の存在を感じさせられる。
実際、このラーメンを食べてしまうと・・・・うーむ・・・・「鶏」はまだしも・・・・「豚」は・・・・どうなのだろう・・・・と思ってしまう。
明治時代まで日本人は「豚」をほとんど食べなかったと言うが・・・・少なくとも、このラーメンは「豚骨ラーメン」と、最も「正反対」「対極」の位置にあるラーメンだと思える。

「肉、脂、濃い味」・・・・「ギラギラ」「ドロドロ」した獣味系のラーメンは、食べ手の「強い欲望を満たす」イメージがあるが・・・・逆に、こちらのベジタリアンラーメンは「強い欲望を消し去ってくれる」印象を受けた。
肉食すると、脳内にある種の「快感ホルモン」が分泌される事が判っているので、獣味系のラーメンは「本能を満たす味」と言える訳だが・・・・こちらのベジタリアンラーメンは、さらにその一段上を行く、「DNAを満足させる美味」・・・・であるような気がする。つまりは、「脳」だけでなく、何より「身体」が喜ぶラーメンなのだ。
今まで無数に食べて来た「鶏」や「豚」が・・・・やたらと「遠い世界」&「大昔の出来事」のように思える。
食べ終わる頃には・・・・そのあまりの食後感の「心地良さ」に、「もうそろそろ、肉食はやめようよ・・・・」と、天の声にそっと優しく耳打ちされている気分になって来てしまった。

フランスが生んだ最高の美食家である「ブリア = サヴァラン」(1755−1826)の・・・・「君がどんな物を食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言い当ててみせよう。」と言う至言を思い出した。
その「ブリア・サバラン」は、こんな言葉も遺している・・・・・「国民の盛衰はその食べ方いかんによる。」・・・・と。

実際、「肉食は、人を猛々しく攻撃的にする」と言う。
「食べ物」は人の肉体を構成するだけでなく、その人の「行動」や「気性」にも大きく影響する事実は、多くの栄養学者が指摘しているところである。
ある国の軍隊でも、戦闘的な兵士をつくるために食品の研究をさかんにしたそうで、結論として「肉食」は人を攻撃的にすることが判明したらしい。そのため、兵士に、おおいに肉類を摂取させたと言う。
一方、昔の仏教徒達は肉類を一切食べず、豆や野菜を工夫して精進料理を発明した。大乗仏教が「菜食」を推奨しているのは、人間の欲望や攻撃的な気性を排斥することで・・・・「心静かに」「悟りを開いて」暮らすためだと言う話もある。

ただ今回、少々気になった事がある。それは・・・・果たしてこの「玄菜麺ベジタリアン」だが、「毎回」この100点レベルの味が提供されているのかどうか・・・・と言う事だ。
なぜなら、後日、「玄菜麺 ベジタリアン」でインターネット検索をしてみたのだが・・・・この「官能のラーメン」に見合うだけの、大きな「反響」や多数の「歓声」はヒットしなかったのだ。
もし、常に毎日・・・・今日のような超絶レベルの「玄菜麺ベジタリアン」が提供されているのであれば・・・・いくらなんでも、食べた人は黙ってはいないだろう。かってないほど大きな反響を呼び、ネット上は騒然となって、あちこちで一気に話題沸騰になるだろう・・・・と思えてならないのだ。
このラーメン・・・・30種類にも及ぶ野菜素材の安定的な仕入れも大変だろうし、マクロバイオテックの「重ね煮」も素材の刀工や仕込みに非常に手間がかかる。手間も時間もかかり、作るのがいかにも難しいスープなのは間違いない。
しかも、化学調味料やタンパク加水分解物を一切使わない、天然素材オンリーのスープは、毎回「同じ味」を「安定して出す」ことは簡単ではないだろうし・・・・野菜ダシ&鯛ダシは「日持ち」もしなそうだ。

秋葉原時代もそうだったが、日に日に増える「玄」の券売機の「メニューの多彩さ」を見て、田中氏は一体いつ寝ているのだろう・・・・と思う事が多かった。
才能があるゆえ、様々な味にチャレンジするのは良い事だが、いかんせん今の「玄蔵」では、実質的にお一人で仕込をされているようで・・・・何種類ものスープやタレを仕込めば、いかなる才人でも、どれほどの努力家でも、どうしてもどこかに「無理」が出てしまう可能性も考えられなくはない。
そう言う意味では・・・・あくまで個人的には、あまりメニュー数を増やさずに、是非とも、今回の「玄菜麺ベジタリアン」と、末広町時代の「玄流塩ラーメン」に特化して欲しいような気がしないでもない。
私が過去に食べて来た幾千杯のラーメンの中でも、この二つのラーメンの美味しさは、あまりにも大きく抜きん出ているし、実際、この「双璧」があれば集客力は十分すぎると確信させられるのだが・・・・。
もし、二つに特化することで、より一層、今日の味が安定して提供されるようになれば・・・・「都内」はおろか、ゆくゆくは「日本全国」を席巻してもおかしくはないと思う。

特に、動物ゼロ使用のこの「玄菜麺ベジタリアン」は・・・・「There is No Substitute・・・・」。
日本列島中を探しても・・・・現時点で「ライバル」や「代役」に成り得るラーメンは存在しないだろう。
まさに、無人の野を行くが如し、「独占市場」だと思えてならないのだが・・・・・。


(麺は完食。スープも完飲。)










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