01ch グルメ食べ歩き
尾花
(東京都 荒川区)

店名 うなぎ 尾花(おばな)
住所等 東京都荒川区南千住5-33-1 【地図表示】
禁煙 タバコ可否不明
訪問日 2006年12月中旬 うな重 3500円




〜うなぎ尾花〜



2006年12月中旬 うな重 3500円

今回は、都内の「高級うなぎ店」の中でも「五指に入る美味しさ」と巷で評判の「うなぎ 尾花」(荒川区・南千住駅 or 三ノ輪駅)さんを訪問してみました。
私は、こちらの「尾花」へは5年ほど前にも一度伺った事があります。




南千住で電車を降り、線路に沿って歩く事、約2分ほど・・・・「回向院」と言う名前のお寺を過ぎた頃から「尾花」の入口の門が見えて来ます。
右手に見える瓦屋根の白い建物が「尾花」の母屋です。左手にずっと続く緑色のフェンスはJR常磐線の線路です。

場所的には、大通りに面している訳でもなく、南千住と言う駅もさほど乗降客数の多い駅だとは思えませんが、土日や夏のハイシーズンなどは、開店前から行列が出来ている事も珍しくない超人気店です。

この日も12月の平日でしたが、開店10分前に到着したところ、既に二名の待ち客がいらっしゃいました。
なお、この日は「鰻通」の知人二名とともに、三名で訪問しています。




開店時間前に着いたため、まだ、門にはシャッターが下りていました。
シャッターに営業時間と定休日が書かれていますが、鰻が売切れてしまうと、営業時間内でも閉店してしまう事もあるようです。

この後、11:30amぴったりにシャッターが上がります。




門のシャッターが上がるのを待っていますと、店の裏手の方から、「キンキン・・・・キキキン・・・・」と、何やらトライアングルが鳴り響くような、明るい金属音が聞こえて来ました。
何だろうと思って、お店の裏手の路地へ入ってみますと、何と「紀州備長炭」の配達の軽トラックが、尾花の勝手口へ備長炭を納品しているところでした。
専用の桶に入れて荷降ろしされる際に、備長炭同士がぶつかり合って、打楽器のように「キンッ、キンッ」と賑やかな金属音を出していたのです。

ちなみに、紀州備長炭とは「うばめがし」(姥目樫 or 馬目樫)が原料になっている白炭で、木炭世界の超高級ブランドです。
ウバメガシは、水に沈むほど木質密度が「濃い&硬い」そうで、その木を1000℃ほどの窯の超高温で焼き上げた物が備長炭です。

普通の炭は表面が真っ黒なので「黒炭」と呼ばれますが、備長炭は白っぽく見えるために「白炭」と呼ばれ、非常に硬く、炭同士で叩き合わせると「キンッ、キンッ」と金属のような音がします。
なにしろ、純粋な「炭素」の塊りなので、その「硬度」も並大抵ではないようです。同様に炭素の塊りである「ダイヤモンド」の超硬度ぶりを連想してみますと、納得させられる物があります。

私も通販で和歌山県の窯元から紀州備長炭を購入した事がありますが、普通の黒炭や練炭と違って、なかなか着火しませんが、一度火が付くと、非常に安定して燃え続け、長時間に渡り、強力な赤外線を出し続けます。
また、その燃焼の状態は、赤く「白熱」するだけで、ユラユラとゆらめく「炎」は出しません。そのため、「炎」で直接に焼くのではなく、あくまで強力&高熱の「熱線」(赤外線)で焼くところに特徴があります。

赤外線は「波長」が長く、対象物への内部浸透力が極めて優れているため、焼き物料理に最適な「強火の遠火」状態を現出させ、「外側」と「内部」の両方から一気に焼き上げられるのです。
また、純粋な炭素であるため、燃焼してもガスのように水蒸気を出さず、魚や肉や野菜類が、「カラッ」、「パリッ」と芳ばしく焼けて、水っぽくならないと言うメリットがあります。




いよいよ開門しました。瓦屋根の付いた立派な門構えです。
玉砂利を踏み鳴らしながら、中へ入ります。




「尾花」の創業は明治時代にまで遡り、明治末期にこちらの南千住の地へ移転して来たとの事です。
敷地内に稲荷神社が祀られています。

「尾花」と書かれた大きなノレンをくぐり、靴を脱ぐと、係の方から下足札を渡されます。




こちらが尾花の客席スペースです。5年ほど前に来た時とは、座卓の並べ方が変わっていました。
以前は、「東西」方向にズラリと伸びる形で数列にテーブルが並んでいましたが、現在は「南北」方向に伸びるように並べられています。

各座卓には、厨房から見える向きに番号プレートが置かれています。
何らの仕切りや衝立(ついたて)もない大広間で、周囲からワイワイと話し声が聞こえる中、鰻を食べるのは、「どうにも落ち着けない」と言う人も居れば、「下町的で賑やかで良い」と感じる人も居る事でしょう。

この日も、この直後から続々と客が押しかけ、席は次々と埋まってしまいました。




奥の一帯が厨房スペースです。鴨居には、ズラリと羽子板が並んでいます。
柱には「紀州備長炭使用店」と書かれた板がかかっていました。

ちなみに、赤いノレンの左に見える引き戸が客用の出入り口です。
基本的に、大広間の奥から順に詰めて座る形になりますが、客の「人数」に応じて、機敏に、座卓を連結したり、移動したりしてくれます。

店員さんの接客振りも、繁盛店に独特のスピード感があり、座席位置や注文方法など、次々と店側に完全に仕切られてしまいますが、お茶のお替りなどをお願いした際の対応などを見る限り、接客自体は良心的だと思います。

また、以前来た時は、すべての座卓に、ご丁寧に一つずつ「灰皿」が置かれていて、実際、客席全体にモウモウたる紫煙が立ち込めていて難儀させられましたが、さすがに時代の流れからか、灰皿は置かれなくなっていました。
しかし、禁煙かどうかは不明です。




卓上に置かれたメニューです。
着席の5秒後には、「ご注文は?」と尋ねられて少々面食らいました。
超繁盛店に特有の、一分、一秒を惜しむかのような接客スピードですが、この「畳み掛ける」ような感覚も、週末の混雑ぶりや夏のハイシーズンの大行列を考えますと、むしろ必須だと納得できます。

今回は三名で訪問したのですが、全員、「うな重」の3500円メニューを注文しました。
注文を終えますと、「後では、鰻の追加は出来ませんが、よろしいでしょうか?」と念を押されます。
「はい」と答えましたが、これは注文毎に「生きている鰻」を割いて、調理に取り掛かるため、鰻重の提供まで40分ほどの時間がかかるので、途中からの追加や変更には対応が難しいためと思われます。

ちなみに・・・・活きている鰻を桶から出して割く事から始めますと、鰻の大きさにもよりますが、鰻重の提供まで早くても30〜40分はかかります。
ですので、もし10〜15分など、極端に早い時間で鰻重が提供されるようであれば、おそらくは事前に「白焼き」や「蒸し」の段階まで済ませてあった鰻であったり、あるいは、すっかり焼き上がっていた鰻を単に「温め直しただけ」と言う可能性があります。

時間が経つほど、鰻の皮も身肉も「コチコチ」に縮んでしまい、硬直し、まったく「ふっくら」感がなくなってしまいます。
一度そうなってしまいますと、もう、どのように上手に温めなおしても、デリケートな鰻の白身の食感が「焼き立て」の状態に戻る事は絶対にありません。
特に「鰻の黒皮」がまるでビニールのように硬くなって、ビヨンビヨンと伸びる感じになってしまい、決して口の中でトロけません。
本来であれば、何より鰻はこの活性化した皮ぎしの脂こそが抜群に美味しいのですが・・・・。

それゆえ、「こだわるお店」は活きた鰻を、わざわざ客の顔を見てから割き始め、一連の淀みのない調理の後、まさしく「出来立て」「焼き立て」を出してくれる訳です。

作り置きした鰻をすべて否定する訳ではありませんし、常に行列が出来るお店であれば「見込み」で次々に調理し、タイミング良く「出来立て」を出すことも可能でしょう。
ですが、もし作ってからあまりにも時間が経ってしまったり、保存の状態が悪かったりすると、鰻の身が硬くなってしまい、まさに「スーパーで売られている鰻」の食感に近くなってしまいます。

今や、スーパーなら800円前後も出せば、なかなかのサイズの「国産の鰻」をタレ付きで手軽に買える時代です。
それを、わざわざ専門店へ出かけて行って、何倍もの値段を出してまで食べると言う事は、つまり、それなりの「意義」(=割き立て)を客は求めているのではないでしょうか・・・・。
ですので・・・・せめて、鰻重に2000円以上のプライスを付けているお店であれば、ぜひこちらのお店のように「活き鰻」を割いて出して欲しいと思います。





メニューの裏側です。
ちなみに、こちらのお店は、鰻重には肝吸いがセットでは付属しません。
「きも吸」が欲しい場合は、別途、300円で「きも吸」をオーダーする必要があります。

鰻メニュー以外にも、「柳川」や「鯉こく」、「鯉あらい」など、「川魚料理」の代表メニューが並びます。
鰻は、シーズンやメニューによっては「天然うなぎ」を使うこともあるようです。





卓上に置かれた山椒と楊枝です。
なぜか、山椒の容器の「フタ」が付いていませんでした。

実は5年ほど前にこちらへ訪問した時も、同様にフタが付けられていませんでした。
しかし、「香りが命」の山椒ですので、空気や湿気に触れてしまって、山椒の風味が飛んでしまったり、劣化してしまわないか、少々気がかりです・・・。




最初に出されるお茶と、おしぼりです。
箸袋には「千住名代御蒲焼 尾花」と書かれています。




さて、注文をしてからほぼ35分後に「お新香」が出て来ました。
この漬物が登場しますと、「間もなく鰻重をお持ちします」と言う合図です。

同行者の一人は、「3500円の鰻重にしては、随分とシンプルな漬物だ・・・」と申しておりました。
最初から醤油がかけられていたのですが、これは各テーブルには醤油が置かれていないためだと思われます。

先に、漬物の感想を述べて置きますと・・・・
白菜は冷たくヒンヤリとしており、浅漬けによる薄味で白菜の風味が生きています。歯切れが軽快に「パリパリ」「シャクシャク」として、フレッシュで美味しかったです。
ただ、沢庵はその黄色の強い色合いからも、おそらくは市販品か業務用の物ではないかと思われ、かなり甘味の強い味付けでした。





さて、漬物登場のほぼ5分後に、「鰻重」が三つ揃って登場して来ました。
注文をしてからちょうど40分と言う事になります。

こちらの画像は、同行者の一人が食べた3500円の鰻重です。
ところが、フタを開けた途端、同行者は「あれ、私の鰻は焼かれていない・・・」と、慌てていました。

しかし、実際にはもちろん焼かれています。
このうっすらとした「極めて淡い焼き色」こそが、実は、まさしく「尾花」の流儀であり、スタイルなのです。

実は、三名のうち、この同行者だけは「尾花」未経験で、意表を突かれてしまったようですが、確かに三つの鰻重を比べてみましても、この鰻重の「焼き」が一番「淡い」ものであったのは確かでした。

実はこの同行者は、強めに焼かれ、やや色濃く焦げた位の蒲焼が特に好きな人でしたので、今回の鰻重に関しては、最後まで「焼いた味が全くしない」と申していました。





こちらの画像は、もう一人の別な同行者が食べた3500円の鰻重です。
先ほどの蒲焼よりも、やや「焼き色」が濃くなっています。

ちなみに、先の蒲焼も、この蒲焼も「串打ち」の跡がしっかりと残っているにも拘らず、串を抜いた跡に、全く「身割れ」が起きていません。
これは使われている鰻が、かなりの「肉厚」であり、丸々と「肥えた鰻」である事を示唆しています。

身肉の薄い鰻ですと、どうしても串を抜いた跡に、多少の身割れが起きてしまいます。
しかし、かと言って、蒲焼の「真の美味しさ」自体は、見た目の身肉の厚さだけでは全く判断出来ないのが悩ましいところです。





さて、こちらは私のところへ置かれた鰻重です。
漆黒の漆塗りの重箱に、金色の扇の加飾が美しく映えています。





フタを開けてみますと、重箱の横幅一杯に鰻が横たわっています。
やはり極めて「淡い焼き色」ですが、良く見ますと、うっすらと均一に、デリケートな「焼き」が入っている事が判ります。

ただ、備長炭の香りや、鰻のタレや脂の焦げた芳ばしい香りは、やはり控えめです。
タレは、色が濃い目で、特に表面の「照り」が良いですね。

この「照り」は、「ミリン」によるものだと思いますので、食べる前は「甘口」のタレを想像してしまい勝ちですが、実際には、結構「ピリッ」と来るタレです。
どちらかと言えばやや辛口と言うか、少し塩気が立つと言うか・・・・甘じょっぱい感じです。
タレに厚みがあり、口当たりにもやや「ネチッ・・・」とする粘り気があるタレですが、それでいて、後味は極めて「あっさり」としていて、甘味が残らず、とても「上品」な後口です。

そして、一口食べてみて、すぐに思った事は・・・・以前の訪問時にも感じた事ですが、
やはり「尾花」の鰻には、明らかに他のお店の鰻にはない、高級洋菓子のような「香り」、ミルキーな独特の「甘味」、芳醇な脂の「コク」があります。
口当たりが濃厚なのにクドくなく、甘いパウンドケーキを連想するような非常に良い匂いのする・・・・豊かで、きれいな、「コクのあるクリーミーな風味」を持つ鰻なのです。

どうやら、この鰻のミルキーな持ち味と、タレの甘じょっぱさが、良い「コントラスト」となって、お互いの味を引き立てあう原理のようです。

ただ、鰻の個体差の違いなのか、5年程前に食べた時は、もっとさらに一層クリーミーさが顕著でしたが・・・・。
今回は脂の旨味は多少サラッとしていて、香りや味わいの芳醇さも、やや控えめな気がします。





ところで、鰻の置かれている「高さ」を良く見てみますと、重箱のフチから、かなり下に下がっている事が判ります。
つまり、かなりご飯が浅く盛られており、量が少ないため、重箱の上半分に空洞スペースが出来ている状態です。

実際、食べ終わってみても、腹心地はかなり軽めでした。
鰻は最も「大サイズ」を頼んだため、十分にボリュームがありましたが、「食事」として考えますと、働き盛りの男性などにとっては、もう少し「ご飯」のボリュームが欲しいと思うかも知れません。
お新香もシンプル、汁物や椀物も付属しませんので・・・・余計にそう感じてしまいます。

ちなみに、店員さんに伺ったところ、三種類の「うな重」の価格の差は「鰻の大きさ」と「器の形」のみの違いで、ご飯の量は三種類ともほぼ同じだそうです。
そのせいかどうか、鰻が最大となるこの3500円の鰻重は、結果として、鰻とご飯の「バランス」と言う点においても、どうしてもご飯がやや少なく感じられました。

ただし・・・・多くの客が、鰻重が登場するまでの40分ほどの待ち時間中に、「ビール」や「うざく」、「う巻き」、「焼とり」などを頼んで食べていましたので、ほぼ、これらの「前菜」を頼む事が前提になっている・・・・ご飯の量のようにも思えます。


また、蒲焼の食感は、極めて「ソフト&ジューシー」と言う感じです。
焼き上がりが「カラッ」としていて、表面が「パリッ」としていて、何とも言えない芳ばしさ・・・・と言う路線ではないです。
つまり、「炭火焼き」による「パリッ・・・」とした歯触りや、「コンガリ・・・」とした香ばしさを追求したタイプではなく、絶妙な「蒸らし」による「ソフト感」「しっとり感」「トロトロ感」・・・などをメインとした鰻の調理ポリシーを感じます。

何しろ黒く「焦げた」箇所はどこにも見当たらず、こげ茶色にコンガリと炙られた面積も少なめです。
そのため、「炙られた」食べ物に特有の食感と香りは少なく、備長炭の強靭な火力により、遠赤外線の超高熱線がウナギの全身を強烈に「貫いて行った」・・・・と言う感触が、あまり感じられないのです。
ですので、蒲焼はなんと言っても「芳ばしさこそが命」だと言う方には、この焼き方は少々物足りなく感じることでしょう。

どうやら、焼きによる「炭火の持つ魔力」よりも、蒸らしによる「水蒸気が持つ魔力」に、かなりのウェイトを置いているようです。
むしろ、意図的に「焼き」を最小限度にとどめる事で、舌先で優雅に「フワリ」とトロける上品な味わいを生み出す・・・・これこそが「尾花の蒲焼き」であり、「尾花」が好きな人は、この仕上がりが気に入っているのでしょう。





タレも表面に塗られているだけと言うか・・・・タレが「焦げた」感じが極めて少なく、タレを付けた後にじっくりと「焼き込んだ」感じ・・・・が、あまりしません。
焼けた炭と、焦げたタレが混じり合って生まれる芳醇な香り・・・・焼けた炭の香りや、炭焼き独特の「パリッ」とした、メリハリのある食感は、かなり控えめです。

ただし、注意深く食べますと、身肉の表面に数ミクロン程度の絶妙な「超極薄」の焼き目が存在している事が判ります。
まさに、微妙に「薄皮一枚」・・・・表層の皮一枚のみ、非常にデリケートに「パリッ」と張っていて・・・・その下は、もうすっかり「フワトロ・・・フワトロ・・・」状態です。
まさしく、私が過去に食べ歩いて来た鰻史上「最トロ」の部類だと思います。

この表面の「微妙にパリッ」とした「極薄皮」のデリケートな焼き目の存在は、まさしく「職人芸」と言う巧みさです。
そして、間違いなく、備長炭の白い灰(セラミックス)から放射される「近赤外線」を使うからこそ成せる業です。
ガス焼きや電気焼きでは、こう言う「表面の数ミクロン」のみを焼き上げ、目に見えないほどの極薄の焼き目の層を形成する芸当は、どのような名人でも到底不可能でしょう。

この数ミクロンの炙られた表皮のおかげで、蒲焼の食感の輪郭が崩れておらず、決してとりとめなく「フニャフニャ」と柔らかくなってしまってはいません。
また、歯応えはフワフワですが、甘い脂による味わいが濃厚なので、口中いっぱいに美味しさの量感があふれ返る感じがあり、鰻の存在感自体はすごい物があります。





ところで、こちらの鰻を一口食べますと、その「フワトロ」の類まれな柔らかさに驚きますが、それ以上に驚いたのは、何より「皮」までもが「超絶の柔らかさ」である事です。
普通は、身肉が柔らかでも、背中の皮が粘ったり、舌に残ったりするものです。
しかし、こちらの蒲焼は、まるで、鰻の「皮」をむいて、全て取り除いてから焼いたのか・・・・と思えるほどに、あまりにも見事に「皮」の「存在感」がありません。

あまりにも皮の存在感が希薄なので、鰻をひっくり返してみたのですが、当然ながら、きちんと皮は付いていました。
しかも、皮目の側は、それなりに「焦げ」の跡も見られます。
ところが、実際に食べてみますと、この皮が非常に柔らかで、「フワリ・・・」とトロけて消えてしまい、全く、驚くほど・・・・舌や歯に一切何も残らないのです。

普通は身肉が「フワトロ」でも、その分、相対的にどうしても「皮」の食感が舌に触ってしまうと言う・・・・食感の「差」が存在するものですが・・・・。
こちらの「皮」は、極めて「フワトロ」の身肉と「口解け感」が完璧に一致し、渾然一体となって、あっという間に「フワトロ〜ン・・・」と口の中で蕩けてしまいます。

ここまで「皮」を柔らかく仕上げるとは、もしかしたら蒸らしに圧力鍋を使っているのでしょうか?
いずれにしても、恐るべき「超ハイレベル」の「蒸らしの技量」です。

また、これだけ身肉が柔らかいと、相対的にどうしても「小骨」が目立って舌に触るものですが、これまた「全く」と言って良いほど、小骨が舌に触りません。
おそらくは、鰻を割いた後、ピンセットを使って、極めて入念に小骨を抜き取り、蒲焼に仕上げられているものと思われます。
実際、尻尾の近くになって、やっと、ほんの僅かに小骨の存在を感じられたほどです。

単に「フワトロ」の口解け感に仕上げるだけでなく、そのために目立ってしまうであろう「皮」や「小骨」も同時に完璧に処理しておく・・・・うむむ、「さすが」です。





そして、このソフト・タッチの蒲焼に合わせたように、「ご飯」も割と柔らかめです。
ダマになっていたり、糊化していたりと言うことは絶無で、一粒ずつがきれいに分離してはいますが・・・・炊き加減が「フニャ・・・」として柔らかく、歯応えが「ヤワヤワ・・・」と言いますか・・・・ご飯の粒が「ピンッ」と立っている感触がありません。
食べても、ご飯粒の「角」が全く口に当たらず、まるでフワフワ、フカフカのぶ厚いマットレスの寝心地のような、どこにも角のない、ソフトで柔らかめの炊き上がりです。

ただ、水分の多いタレが万遍なく多めにかけられているため、ご飯の粘り気が希薄になってしまい、箸で持ち上げても、ひと塊りにまとまらず、箸からご飯がポロポロと崩れて落ちてしまいがちで、少々食べづらく感じられました。
個人的な好みとしては、ご飯を「噛む」ことの喜びと言うか・・・・もう少し硬めの炊き上がりにして欲しい気もしないでもありません。

しかし、実は・・・・食べ進んで行きますと、「フワトロ」の柔らかな鰻と、この「ヤワヤワ」な柔らかご飯が、食感的に次第に同化し始め、見事に「一体化」して来る事実に気付かされます。

次第に「鰻」と「ご飯」の境界線が消え去り、徐々に食味の区別が付かなくなって来る・・・・見事なる「渾然一体」感が現出して来るのです。
つまり、ご飯は炊き方の「ブレ」で柔らかくなった訳ではなく、全ては事前の設計図どおりの仕上がりであり・・・・このご飯の柔らかさも、全ては「予定調和」の世界だと言うことなのでしょう。

うむむ・・・・これもまた、長年の「尾花のノウハウ」であり、究極の「尾花ワールド」の一環なのでしょう。





鰻の「断面」を良く見てみますと、身肉の繊維の隙間から、光り輝く透明な油が「ジットリ・・・・」と、したたり出ている事が判ります。
また、箸を入れただけで、容易に身肉の繊維が「ホロホロ」に、ほぐれてしまっている事が良く判ります。

このトロトロの鰻の身が、舌先でフワリと蕩ける「優雅で上品」な口解け感、究極的な「ふっくら感」を生む訳ですが、その分、あまり噛まずとも、舌の上ですぐにトロけて、スーっと消えて行ってしまいます。

実際、全く噛まないでも食べられそうなほどに・・・・鰻の身が「トロトロ」で、徹底して「柔らか」です。
そのため、「カリッ」とか、「パリッ」とか、「ホクッ」とした「歯応え」や「噛み心地」には乏しく、身肉は十分に厚みがあるのですが、「歯応え」の観点からは・・・・見た目ほどの厚みは感じられないような気もします。

養殖鰻は、鰻がほとんど運動しないためか、もともとあまり筋肉が発達しないこともあるのかも知れませんが、無類の「蒸らし」の超絶テクニックで、さらに身肉をふっくら柔らかく仕上げているため、
身肉がトロトロにとろけて、まるで身肉の繊維感がなくなってしまい、「魚」と言うよりも・・・・まるで柔らかな「絹ごし豆腐」を食べているような感触です。

この状態を、「ふっくら柔らかくて美味しい」・・・・と言う事もできるかも知れませんが・・・・私的な好みとしては、もう少し魚らしい身肉の筋繊維が感じられると嬉しいです。

ただし、「蒸らし」に力を入れているとは言え、肝心な「鰻の精気」まで抜け出てしまった感じではない・・・・のは「さすが」です。
下手な蒸らしを長時間やってしまいますと、鰻が「グッタリ・・・」「ヘトヘト・・・」としてしまい、旨味も精気も流れ出して、まるで「ヌケガラ」のような貧相な味になってしまいます。
その点、こちらの鰻は、油もむしろやや多めに感じられる位にほど良く残され、「ギラギラ」とする鰻の「精気」がきちんと詰まって感じられます。


途中から「山椒」を少し振り入れてみましたが・・・・ちょっと意外なほど、あまりにも「普通」の山椒でした。
「フタ」がなかった影響かどうかは判りませんが、香りが控えめで、さほど山椒の香りにこだわってはいないような印象を受けました。


ご飯のボリュームが、それ程でもなかった事もあり、気が付くとすっかり鰻重を食べ尽くしていました。
食べ終えた直後は、後口も決してギトギトせず、「サラリ・・・・」とした腹心地に感じられましたが、お店を出て30分もしますと、ジワジワと脂感が胃の中で頭をもたげて来る感じがありました。





食べ終わって、出口へ向かう途中に、厨房がチラッと見えます。
いかにも「職人さん」と言うスタッフの皆さんが、一心不乱に鰻を調理していました。

入店から退店まで、ほぼ一時間弱でした。
私達が帰る頃には、待ち客こそいなかったものの、広い客席はほぼ満席近くまで埋まっていました。




こちらは「お会計場所」です。
最後にこちらで手会計を済ませます。

年末年始の営業のお知らせが貼られていました。



さて、食べ終えての感想ですが・・・・・
やはり、一口に「美味しい鰻重」と言っても、実に様々な「方向性」「タイプ」「価値観」・・・・が存在する事を改めて悟らされます。

あくまで「私的な好み」としましては、私は蒲焼の醍醐味とは・・・・「タレ」と「鰻の油」が渾然一体となってコンガリと「炙り焦がされた味」こそが美味しさのポイントだと思っています。
「よく炙り、タレと油を適度に焦がす・・・」事による独特な香ばしい匂いと、「カラッ」「パリッ」「ホクッ」とする「炙り魚」としての食味を、蒲焼に求める人間のようです。
その点、こちらの蒲焼は「タレ」を塗った後、あまり炙らないことを良しとしているようです。

せっかくの備長炭ですので、もう少し焼き込んで、せめてもう一歩・・・・焦がして欲しいと思うのですが、しかし、その一方で、今の「淡い焼き方」こそが「尾花」の個性であり、価値であり、魅力であり、真骨頂なのだ・・・・と言う人も、決して少なくない事と思います。
実際、私達の帰る昼の12時半頃には、待ち客こそ発生していなかったものの、平日にも拘らずほぼ満席でしたので、「尾花」が世の鰻好きから大いに支持されているのは間違いありません。

おそらく、鰻をあまり焼き込まないのは、鰻の「ふっくらジューシー感」、「フワフワ、トロトロの柔らかさ」を、最優先事項に掲げているからだと思います。
結果として・・・・こちらの「尾花」の蒲焼は、世間一般水準の「数段上」を行くほどの、信じ難い「フワトロ」な身肉の柔らかさを手に入れたのでしょう。
しかも、「皮」や「ご飯」の食感まで、無類の「トロける柔らかさ」で見事に「食感の統一」を成し遂げています。

実際、都内を探せば、それなりに柔らかい蒲焼を提供するお店も少なくはありませんが、ここまで見事な「トータル」での「口解け感」を持つ鰻重となりますと・・・・これはもう、まず滅多には出会えないと思います。

こう考えて来ますと・・・・「尾花」の魅力の「双璧」を成す要素は、
(1)使われている鰻の「甘くかぐわしいクリーミーなコクのある味」
(2)絶品の蒸らしと淡い焼きによる無類の「フワトロの口解け感」
・・・・にあると思います。

特に、明らかに他の養殖鰻とは異なる「甘くかぐわしいクリーミーさ」、そして舌先でトロけてしまう身肉の無類の「フワトロ」感は・・・・特別養殖されたブランド鰻である「坂東太郎」の食味に・・・・限りなく近いと思います。

また、総じて、身肉も、皮も、ご飯も・・・・まるで歯を使わずに食べられそうなほど、すべてがソフトで、ご飯の量も控えめであることから・・・・
どこかしら、年配客や女性向けの味にこだわっているような配慮が見え隠れする気もします。

実際、この日の客層を見ても、老夫婦を始め、年配客や女性のグループが客筋の大勢を占めていました。



(すべて完食。)



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