01ch グルメ食べ歩き
ほそ川
(東京都 墨田区)

店名 江戸蕎麦 ほそ川(ほそかわ)
住所等 東京都墨田区亀沢1-6-5 【地図表示】
禁煙 タバコ完全禁煙
訪問日 2007年6月中旬 せいろ 950円 
           かけ 950円 
           いちじくのラム酒煮 750円 




〜江戸そば ほそ川〜



2007年6月中旬 せいろ 950円  + かけ 950円  + いちじくのラム酒煮 750円

今回は、都内でも屈指の「美味しいそば店」との呼び声が高い、巷で評判の「江戸蕎麦ほそ川」(墨田区・両国駅)さんを訪問してみました。

もともとは埼玉県・吉川町にあって美味しさで評判だったお店が、2003年11月に現在の両国へ移転して来たそうですが、今では都内の蕎麦通の間で不動の名声を欲しいままにする名店です。
実際、インターネットの「日本蕎麦系サイト」「グルメ系サイト」を見てみましても、こちらの「蕎麦」について「素晴らしく美味しい蕎麦」、「十割蕎麦の名手」等の高い評価をしているサイトが少なくありません。




お店は「国技館」で有名なお相撲さんの町「両国」の江戸東京博物館のすぐ近くにあります。
初めて訪問しますと、有名店にもかかわらず「えっ・・・」と思うような、意外なほど細い路地を入った場所に静かに佇んでいます。

おそらくは、敢えてこのようなロケーションを選んで出店したのでしょう。

大通りや繁華街に位置すれば「千客万来」を狙えますが、
それよりも、「知る人ぞ知る・・・・」場所で真の蕎麦通に「選ばれし店」でありたい・・・・と言う想いが、
お店を前にしますと、強烈に伝わって来る気がします。




うーん・・・・・これぞ「大人の隠れ家」でしょう。何とも、素晴らしい「ファサード」です。
「客に選ばれるお店であると同時に、客を選ぶお店でもある・・・・・」、そんな「エクスクルーシヴ」(Exclusive)なコンセプトを直感させてくれます。

古民家二軒をつなげた造りだそうですが、設計デザインは「住まい塾」の高橋修一氏によるものだそうです。




表札と定休日の案内です。




ノレンをくぐりますと、「ウェイティングスペース」があります。
正面のドアは「勝手口」で、客席への扉は画像には写っていませんが右側にあります。





白い引き戸を通り入店した・・・・店内風景です。
壁は天然素材の珪藻土、温かなウォーム系のライティングと天然材の質感・・・・がいい感じです。

カウンター席はなく、四人掛け、六人掛け、八人掛け等のテーブル席が余裕を持って配置されています。
まるで時が停止したかのような・・・・ゆったりとした「空気感」、心が休まる「寛ぎ感」が漂います。

また、奥には半個室のようなスペースもあるようですが、
少し希望を言わせて頂ければ・・・・「一人客用」の静かなカウンター席、もしくは「一〜二人掛け」の小さめの卓も設けてもらえると嬉しいです。




磨き込まれた大きな窓から見える「緑」が、またいい感じです。
厚みのある壁や太い柱が、心地良い「囲われ感」、外界との「距離感」を演出してくれます。




メニューの「冷たいそば」のページです。
こちらのお店は、店主氏がご自身で地方の蕎麦農園まで足を運び、厳選した蕎麦の実を一日に使う分だけ自家製粉しているそうです。

お店のサイトによれば、原料にこだわり「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の理想の「三立て蕎麦」を実現するとともに、
蕎麦の追加(お替り)を希望しますと、一枚目とは異なる「他の産地」の打ちたて蕎麦を出してくれると言う念の入れようです。(ただし、品切れの際はご容赦下さいとのこと)

「せいろ」を注文しました。




こちらは「温かいそば」と「蕎麦前のお供」のページです。
「冬季のみ」の限定メニューもあります。

追加で、「かけ」も注文してみました。




少しページを飛ばして・・・・「蕎麦前」(御酒)のページです。
おお・・・・最近話題の「醸し人九平次」・・・・があるのですね。

お蕎麦屋さんで、この「九平次」がラインナップされているのは初めて見ました。
私も、九平次の「EAU DU DESIR」と言う銘柄、フランス・パリの三ツ星レストランでメニューリストに乗るほどの国際的評価を得ているお酒を買って自宅で飲んだ事があります。

「九平次」は名古屋市内にある小さな酒蔵ですが、到底、その味は「名古屋の地酒」と言う雰囲気ではなく、未体験の「新世代・微炭酸系アルコール飲料」・・・・と言う衝撃的な味でした。
同時に、明らかに既存の酒蔵とは目指しているベクトルが異なる感じで、極めてきれいな若々しい酒質で、「山田錦」でもこう言う明るく若い味のお酒が出来るんだな・・・・と感心した記憶があります。

「磯自慢」、「四季桜」、「大七」、「上喜元」、「神亀」・・・・辺りはいずれも飲んだ事があります。
特に、「磯自慢」、「四季桜」・・・・は、都内では非常に手に入りにくい銘酒ですので、常時ラインナップしているお店は貴重だと思います。





さて、オーダーをしてから7分ほどで「せいろ」が登場しました。
少々順番が前後してしまいますが、まずは「蕎麦」以外の部分の感想を・・・・。

「蕎麦つゆ」は徳利に入って来ますが、見ても判るように、量は割と少なめです。
しかし、少し飲んでみれば・・・・ただただ「驚愕」です。まさに、これぞ「天然アミノ酸の旨味の異次元凝縮体」・・・・と言う印象です。

そのレヴェルたるや、決して味が濃いとか、単に江戸風の辛口だとか・・・・そう言う低次元で語って済む味ではなく、
とにかく最上級の「コスト」と「技術」が詰まっている「絶品つゆ」・・・・としか言いようがありません。

実際、食べ始めてみますと、この量でも多すぎるくらいに、「こっくり・・・・」とした旨味の豊かな「極めて濃口」のツユで、ほんの数センチ浸すだけで十分な旨味が蕎麦に乗って来ます。
非常にコストのかかった高価で貴重なツユと言う事もあると思いますが、むしろ、誤って蕎麦を浸け過ぎないよう、敢えて少なめの量にしてくれているのでしょう。

この非常に黒々としたスーパーヘヴィ級の濃口のツユに、「江戸蕎麦」を名乗る流儀を感じます。
こちらのお店の「つゆ」にかける情熱の凄まじさ・・・・についての感想は、到底、一時間や二時間では語り尽くせないでしょう。
かなり長くなってしまいますので、後述したいと思います。

「ネギ」は水にさらしてあったようですが、その、まるでミクロン単位で切り揃えたかの如き、恐ろしく「精緻」な刻み方を見るだけで、作り手の「技量」と「こだわり」の凄さが理解できます。

「山葵」は、私の好きなフレッシュな「野菜&山菜」の風味がする爽やかな辛味タイプです。
少し舐めてみますと、野菜の「清清しい山の香気」が口中一杯に広がり、そして、その後を追いかけるように・・・・何とも「鮮烈な緑の辛味」が、口中と気分をリフレッシュしてくれます。

「ミント」「シトラス」「グリーン」等の爽やかな香気を持ち、その辛味は「シャッッキーン」と爽快、鋭角的な「キレ」・・・・
超新鮮な「生の野菜」に特有の、研ぎ澄まされた瑞々しさを持つ素晴らしい山葵です。

そして普通、これだけ「野菜や山菜」風の味がするワサビは、逆に「辛味」と言うものが弱いのですが、こちらのワサビは「文武両道」と言いますか、鮮烈な「辛味」もしっかりとあります。
しかも、その辛味に「ツーン」と来る安っぽくて化学的な嫌味が全く無いのです。

青々しくも、「スッッッパァァァーーーン・・・・」と広がる香気&辛気の「口中ビッグバン」に、ただただ感服、このような山葵は初めてです。
量は少量ですが、相当に厳選された高価な山葵であるのは間違いありません。

たかが「山葵」と言う人もいるようですが、「山葵」にも様々な「品種」や「グレード」があり、「真妻」と言う山葵が高級品として知られているようですが、
生産地や栽培業者によって「味」が全く変わりますので、こちらのお店の選球眼は、「さすが」としか言いようがありません。

皮はきれいに剥かれ、舌触りにも極めて滑らか・・・・モソモソした粉ワサビや増粘剤の入ったチューブワサビとは、完全に別種の存在でしょう。

なお、最初に登場したお茶は「蕎麦茶」でした。
徹底して「こだわるお店」は、蕎麦の前後には「緑茶」は出さないと言います。これは、緑茶の香りが蕎麦の風味を乱してしまうからだそうです。

また、最初に出される蕎麦茶は、これから頂く「蕎麦」の事を考えてなのか、敢えて香りも味も薄めにして控えられているようでした。
逆に、最後に登場する「ほうじ茶」は、私が過去経験した限りにおいて、最高ランクの鮮烈な香りと美味しさでした。
きちんと、全体の味の「組立て」を考えて、意図的に味の「強」「弱」を付けているのでしょう。





さて、まずは・・・・何も付けずに「蕎麦」だけを一つかみ食べてみました。

シュル、シュル・・・・。

モグモグ・・・・モグ・・・・・。


蕎麦のすすり心地は適度にエッジが立ち、この細さにもかかわらず、なかなか「雄雄しい」ソリッド感があります。
噛み砕いても「ワシワシ、ムチョムチョ・・・・」とコシが強いです。歯を受け止める硬めのコシ、なかなか噛み応えがありますが、それが中華麺やウドンのような「グルテンの粘り」を伴うものではありません。
つまり、小麦粉のツナギを使った蕎麦とは異なり、あくまで蕎麦100%特有の「ソリッド」な歯応えです。

どちらかと言えば「重め」&「硬め」&「練り込んだ」感じの歯応えで、いかにも「十割」らしい「蕎麦密度」を感じさせる食感でしょう。
歯切れも「プツッ」と軽く切れず、一瞬、「ワシッ・・・」と歯を押し返し、「グンッ・・・」と持ち堪えてから切れる感じです。

どちらかと言えば、蕎麦の「繊細さ」や「軽やかさ」さよりも、「力強さ」と「歯応え」がメインに据えられている印象です。
それでいて外殻(黒い星)の一切入らない、滑らかで高級感のある口当たりで、都会の蕎麦らしい「洗練」された食味も兼備しています。

また、無塩で打っているのかどうか・・・・舌にチリチリと触る余計な塩分感の無さも実に見事ですね。





また、「すすっただけ」では、香りも味もやや控えめで、特に食べ始めは「甘味」が全くないのですが・・・・噛み進むに連れ、口の中で唾液と混ざると、蕎麦のデンプンが糖質化して、次第に自然な甘味があふれて来ます。
ただ、香りは、さすがに昨秋の収穫から随分と経過した六月と言うこの時期では、蕎麦の芳香がフレッシュに生々しく香ると言うほどではなかったようです。
その代わりに、後口に「清い水」の風味がします。

もう一口、蕎麦だけを食べてみましたが・・・・
上質感や高級感にあふれた口当たりで、十分以上に美味しいですが、やはり、香りや、素材感・・・・と言う意味では、「蕎麦の魂」が目の前まで迫って来ている・・・・と言う「至高の領域」の感覚までは起きませんでした。

どこか、「打ってしまった」「姿を変えてしまった」と言う若干の「加工感」があり、加工の過程で素材感が少しずつ、少しずつ、そがれている感じがありますが、
蕎麦の実は「野菜」と同じように鮮度が命ですので、この初夏の時期であれば、秋の「新そば」レヴェルを要求することは難しいところでしょう。

今年の秋が深まり、新蕎麦の季節が到来すれば・・・・果たしてどのような「蕎麦」が降臨するのか・・・・今から非常に楽しみです。





さて、いよいよツユに浸けて食べてみます。
濃口の汁なので、まずは蕎麦の下の方、三割ほどだけ浸けてみました。

ジュルッ・・・・ズルズル・・・・。

モグモグモグ・・・・・。


うーん・・・・何とも、「目が覚める」ようなハッキリとした輪郭を持つ美味しさです。

醤油がはっきりと効いていて、舌の根に「ジンワーッッ・・・・」と押し寄せて来る濃い目の深い味です。
ツユの美味しさに「グリグリグリ・・・・」と、電動ドリルで舌に穴を開けられるかのような、クサビを打ち込まれるかのような・・・・力強い「穿孔感」があります。

続けて、節類の旨味と風味が口中いっぱいに「打鐘」のように響き渡り、「素材」の旨味が煌々と舌に冴え渡ります・・・・。
そして飲み込んだ後も、何とも、表現のしようがないほどに素晴らしい後味の「余韻」が長く、長ーく、続きます。

醤油が「バッチリ」と効いて、「ダシ」と濃厚に絡み合い、パワフルで、極めて「動的」な味です。
どちらかと言えば「黒々とした江戸風の濃い汁」が好きな私でも、少々「濃すぎる」と言うか、やや「しょっぱめ」のようにも感じられてしまう程でした。

また、汁に浸ければ、多少柔らかくなるかと思った蕎麦も、まったく変わる感じがなく、そのソリッド感ゆえ、口の中で「もこもこ」として歯応えを主張して来ます。
一口、一口・・・・における口中での「蕎麦」の存在感、実体感・・・・が半端ではありません。

小麦粉で増量した安い蕎麦の・・・・スルスルと軽々しくすすれる「軟弱」な体躯と、スカスカの「軽薄」な歯応え・・・・とは、まさに対極ですね。
この「重厚長大感」、「リアルな実体感」・・・・これぞ、混ぜ物のない「十割蕎麦」の真実を語る食味と言えるのでしょう。

ここで、改めてツユだけを飲んでみますと・・・・醤油の醸造風味と、ミリンの風味、海産物ダシの旨味が・・・・思いっ切り「口の横幅一杯」・・・・いや、口の両脇を突き抜けて、
太平洋の「大海原」の水平線の如く、無限の幅で「水平」方向へ展開してゆく印象です。
いやはや・・・・その美味しさの勢いに圧倒される、何とも「凄まじい美味」のツユですね。

そして、この蕎麦ツユも、やはり「清い水」が生きて感じられます。
これだけ濃いのに・・・・不思議ですが「水の美味しさ」が生きて、残っていて、舌に伝わって来るのです。

今回は、蕎麦の味に比較し、ツユの味が豊かすぎると言うか、やや主張が強すぎる感じを受けましたが、それは六月のこの時期だから・・・と思います。
これが蕎麦に「力」の出る晩秋の「新そば」の季節になれば、絶賛の「究極のバランス」が降臨する事でしょう。





蕎麦粉を溶かし入れた濃厚な「蕎麦湯」です。

蕎麦湯だけを飲んでみますと・・・・素晴らしい美味しさですが、同時に驚くほどに滑らかで、恐ろしいほどに柔らか・・・・。
何とも・・・・飲み口も、味わいも、「柔らか」、「柔らか」、「柔らか」、「柔らか」、「柔らか」・・・・とにかく「柔らかな味」である事が印象的です。

そして、いやらしい「塩気」が全く感じられません。





蕎麦猪口でツユと合わせてみました。
蕎麦の粉の「滓」が浮いています。

「トローリ・・・」として、ところどころに粒子感があり・・・・良く言われる「ポタージュ」と言うよりも、ちょうど「甘酒」のような舌触りです。

ただただ、蕎麦の実体の「コク」、「コク」、「コク」、「コク」・・・・の波状攻撃。
そして、同時に「香り」、「香り」、「香り」、「香り」・・・・の十字砲火。

僅かなナチュラルな甘味はありますが、蕎麦と違って咀嚼する事がないため、蕎麦粉のデンプン質が唾液と混じらないで糖質化せず・・・・麺の時ほど「甘味」は感じられませんでした。
しかし、何と言いますか、味わいが「一過性」ではなく、飲むほどに、味わうほどに、二段、三段・・・と、味がグングンと濃く、深くなって行きます。

さらに、この蕎麦湯にも、驚いた事に「水の美味しさ」が生きて残って感じられます。
うーむ、いったいどういう「マジック」なのでしょうか・・・・。





せっかく訪問しましたので当初から「二品」頂く事を予定していたのですが、次の品は「田舎そば」にするか「かけ」にするかで少々迷いました。
通常、「温かい蕎麦」と言うものは私はあまり食べないのですが、一般に蕎麦の香りが落ちると言われる「夏」に入り始めた時季と言う事もあり、敢えて「かけ」を選んでみました。
しかし、これが思わぬ「大正解」であったようです。

結論から言えば、私が過去に食べた「すべてのかけ蕎麦」の中で、文句なく「三指」に入る美味しさでした。
特に「つゆ」については、現時点で、私にとって間違いなく、すべてのかけ蕎麦の「頂点」に君臨する驚異の美味しさです。

過去の食歴の延長線からは、到底想像さえできない、本来なら存在しないはずであった「神域」の美味・・・・。
この「そばつゆ」には・・・・確実に「魔法」がかかっていますね・・・・・。

蕎麦なのに、なぜ「レンゲ」が付いてくるのか・・・・いやが上にも、理解させられます。





一さじ、つゆを舌の上に置いた、次の刹那・・・・・
その冴え冴えと「冴え渡る」ダシの美味しさ、その隅々まで「澄み渡る」カエシの美味しさに・・・・文字通り「絶句」。

何より、想像を遥かに超えた領域の美味しさに触れた「驚き」と、その類まれなる幸運に恵まれた事による「歓喜」の感情が・・・・交錯しながら私の体を貫き、背筋を震撼させます。
まさに、高額な「宝くじ」に当たった時に、人はこのような感覚に襲われるのではないでしょうか・・・・。

ダシは上品な「鰹」が素晴らしく良く効いていて、カエシの醤油の風味もしっかりと主張します。
極々僅かに、ほんのりと塩気も効いていますが、全体に「雑味」が絶無のため、相対的にやや目立つのかも知れません。

醤油の色は淡いですが、これほど存在感があると言うことは、おそらく色や香りの淡い「薄口醤油」をメインに使っているのでしょう。
そのお陰で、ダシの風味が一切埋もれる事がなく、素晴らしい「均整」が取れています。

ただ・・・・ツユを口に含んだ瞬間、ありとあらゆる「想い」が頭を駆け巡るのですが、あまりにも「非日常」レヴェルの美味ゆえ、そのイメージを言葉で捉えて表現する事が出来ないのが悩ましいところです。
もし無理に一言で言えば・・・・何より、ツユに「生命感」が宿っている・・・・と言う事でしょう。

味わいに「力感」、「躍動感」があふれていて、美味しさが非常に「動的」、「活性的」なのです。
そして、余計な雑味が一切邪魔をせず・・・・「味」が異様に研ぎ澄まされているのです。

はっきり言えば、過去の食べ歩きでは比肩できる味に触れる機会がなく、この領域の「つゆ」が「存在する」ことさえ想像していなかった美味しさです。

日常の生活に埋もれていれば、いくら「空」を見上げても・・・・どれだけ快晴の日でも、どれだけ澄んだ空気の日でも・・・・肉眼で見える「景色」には限界があります。
しかし、海外旅行で国際線旅客機に乗ると、普段の肉眼の届かない高度一万メートルを超えた空の「その先」には・・・・雲海を突き抜けた「その上」の世界には・・・・「成層圏」と言う非日常の「青の世界」が存在しています。

地上を離れない限り、一度として「想像さえ」することのない「天空の別世界」・・・・。
「食」の世界にも、天空の「成層圏」に相当する非日常の「別の世界」、「未知の領域」が存在すると言う事実・・・・。

そして、今回、一度でも「その世界」の住人になれた事の幸福をありがたく享受し、その幸運を噛み締めました。





いよいよ、「蕎麦」を食べてみます・・・・。

ハフハフ・・・・。

ズルズルズル・・・・。


うーん・・・・凄いですね・・・・。

これが、これこそが・・・・
「かけ蕎麦」の「真実を語る味」・・・・と言う印象です。

熱い汁に浸っているにも拘らず、蕎麦のエッジが揃い立ち、コシがしっかりと感じられ、ふやけた感じやダレた感じが絶無です。
これこそが「蕎麦粉100%」ゆえのエッジとコシなのでしょう。

そして、先の「せいろ」では、やや「ソリッド感」「剛性感」があり過ぎるように感じられた蕎麦も、熱い汁に浸ったせいで、絶妙に「ほぐされて」ちょうど良い「ベスト」な歯応えとなって感じられます。
むしろ、まるで・・・・今日の蕎麦はこの「かけ」に合わせたかのようなコシのチューニングと感じられました。

そして・・・・味わいは極めて上品なのですが、それでいてインパクトがあり、何より・・・「ズバッ・・・」と舌に来る味です。
さらに言えば、関東でありながら淡い薄口醤油で味を付けているのか、黒々とした濃口醤油の野太い味ではないので・・・・なかなか「他にない味」ですね。

一口頂いただけで、蕎麦の気合がビンビンと伝わって来て、気楽に食べるにはあまりにも「畏れ多い美味・・・・」と言う印象です。
尋常でない「力」「気迫」が隆々として漲っていて、まるで剣豪や武道の達人と一対一で対峙したようなイメージで、相手の力量や貫禄、内在するエネルギー感が伝わってくるのです。

とにかく、「負けん気」の強い蕎麦、「負けん気」の強いダシ・・・・と言う印象です。
「江戸蕎麦」の冠が付きますが、昔ながらの老舗の歴史ある味と言うよりも、「究道進化形」のニューウェーブ系のように受け取れます。

また、時間が経過しても、蕎麦が「ダレる」「のびる」と言うことが全くありませんでした。
こう言う蕎麦を食べますと、一般に蕎麦が「のびる」「ダレる」と言う現象は、つなぎの小麦粉が多いせいなのかな・・・・と感じてしまいます。

正直に言えば、先に頂いた「せいろ」も素晴らしかったですが、それをさらに上回って、こちらの「かけ」を猛烈に気に入ってしまいました。
ただ、「せいろ」も、新そばの季節であれば、また印象が大きく変わる気がしますし、むしろこれだけの「かけ」を出すお店が打つ「新そば」の事を想像しますと・・・・鳥肌が立つ気がします。

また、途中から少し「七味」を振ってみたのですが、この「七味」も相当に吟味された物のようで、黒ゴマの芳ばしさが信じ難い美味しさです。
そして、何より、このツユに非常に良く合いますね。黒ゴマの芳ばしさが加わりますと、ツユの美味しさがさらにメキメキと「ボルテージ・アップ」して感じられます。

ただ、食べ終わって少ししますと・・・・後口に微かな「渋ったさ」が舌に残って感じられます。
この独特な渋味は蕎麦を食べた後に時折経験しますが、おそらくは、使われている「鰹節」によるものでしょう。

最後に、繰り返しますが、これほど「抜きん出た完成度」を持つ「かけ蕎麦」は初めてです。
東京屈指・・・・いや、単に美味しさだけではなく、地方の有名蕎麦処にはない「ソフィスティケイトされた洗練度」を感じさせる点を考慮に加えますと、事実上、「日本屈指」のレベルでしょう。

今まで、心のどこかで「せいろ」や「もりそば」に比較して、「かけそば」は二番手のように思っていましたが、その考えを改め、この日から「宗旨替え」を考えさせられました。





さて、かけ蕎麦を食べ終わって、その「至高&究極」の美味しさに、しばし放心状態のまま「陶然」としていましたところ・・・・
スタッフの方に、「よろしければ、食後のデザートはいかがでしょう?」と声をかけて頂きました。

内容を尋ねましたところ、「本日はイチジクのデザートです」との事でしたので、お願いする事にしました。
どうやら季節によってデザートの内容も変わるようですが、自然界の果物には「旬」があるので、むしろ当然のことなのでしょう。

登場したデザートは、イチジクの実をラム酒に漬け、蕎麦のむき実とミントを乗せ、シロップをかけたものです。
ラム酒の香りはさほど強くなく、アルコールも加熱により飛んでいますので、誰にでも食べ易いと思います。
下に敷かれているのは「葛きり」かと思いましたが、食べてみますと「寒天」でした。

金箔を散らしたガラスの器と、小枝を模ったような純銅製のスプーンが非常に良くマッチしています。
素晴らしい美的センスですね。

ただ、食べ始めてみますと・・・・先の丸いスプーンですと、イチジクの実がやや切りづらく、下の寒天の弾力や滑りも加わって左右にツルツルと滑って動いてしまい、安定しませんでした。
イチジクは意外なほど繊維が密に詰まっていて、丸いスプーンでは容易に切れないのです。

できれば先が三つに割れたフォーク型スプーン、もしくは、小さなデザートナイフ等を添えて頂けた方が、実を割きやすく、この一品をさらにスムーズに味わえると思います。





イチジク自体は繊維が粘る感じがあり、「マッタリ・・・」「モッタリ・・・」とする「なまめかしい口当たり」です。
一言で言えばその食味は・・・・いつも思うのですが、「熟した桃」にとても良く似ていると思います。

イチジクの「甘味」「旨味」がシロップによって、また「香り」はラム酒によって・・・・それぞれ見事に「増幅」されていて、そこへ、蕎麦の実の「プチプチ感」が心地良い歯触りのアクセントとして加わります。
生のイチジクを単体で食べるのとは異なる、しっかりとした付加価値が加えられていて、見事に「プロの料理」としてのレヴェルを感じさせる仕上りになっています。

また、意外な伏兵として・・・・寒天までもが非常に美味しかったです。
極めて薄味ですが、歯を入れると「プッツリ・・・」と表面が切れ、余計な味がない寒天の透明感のある汁がたっぷりと舌の上へ流れ出し、舌を潤し、雑味を洗い流してくれるとともに、フルフルと揺れるデリケートな舌触りを楽しませてくれます。

この磨かれた水気タップリの美味しい寒天、その中身は一切の甘味が付いておらず、その味の「あまりの純粋無垢さ」、「エクストラなピュアリティ」・・・・が「目からウロコ」の素晴らしい美味しさでした。
イチジクばかりに注目しがちですが、この「寒天」こそ、まさに隠れた名脇役ですね。

そして、最後にミントの葉を何気なく噛んだのですが・・・・・ミントの香りが口中を「スーッッッ・・・・」と爽快にリフレッシュしてくれ、その揮発する香りが、体の中に何かを「目覚めさせる」「吹き込む」感覚があります。
この「西洋ハーブの息吹」が・・・・この「蕎麦」と言う和食の世界観に、巧みなエクストラの「エッセンス」を加えていて、何とも心憎い作り手のセンスを感じます。

このミント、最後の最後に・・・・・まさに「待ち受けていた」感じで登場する「小粋なサプライズ」です。
作り手による、食べる楽しさの「シークエンス」が考え尽くされていて、やたらなフレンチ料理店のデザートが、裸足で逃げ出すであろう「完成度とセンス」の逸品です。

私の大好きな蕎麦店「千寿竹やぶ」(足立区)も同じですが、本当に優秀な作り手は、決して「蕎麦」だけに終わらず、蕎麦以外の料理にも、とてつもないセンスや非凡なる才覚を表してくれます。
結局、すべての料理には共通する根底要素があり、真に優秀な人は、結局、何を作っても才覚を発揮してしまうと言うことなのでしょう。

食べ終えてお店を出てから、30分位は「イチジク」の甘い香りが「ひらり、ひらり・・・」とそよ風に羽毛が舞うように、私の口中を漂い続け・・・・優美な果実味が舌先を仄(ほの)かにくすぐり続け・・・・・
素晴らしい「残り香」と、「美味の余韻」をプレゼントしてくれました。





さて、食べ終えての感想ですが・・・・・

都内や地方でも、空間デザイナーの仕事と思しき一見すると「高級懐石料理店」のような・・・・高級モダンなデザインの蕎麦屋が増えています。
値段も「せいろ」で1000円前後から始まり、蕎麦の産地や製法等にいかにも「こだわり」を謳い、見事に「美味しいと思わせる演出」が揃っていて、蕎麦フリークの心を巧みにくすぐります。

しかしながら・・・・実際に入店し、食べてみますと・・・・「外見」の立派さぶりに比較し、あまりにも「拍子抜け・・・」させられてしまう蕎麦である事も決して少なくありません。
実際、私も「完璧な外観とインテリア」&「高価格帯メニュー」のお店へ期待して入店し、結局、蕎麦に何らの感慨も覚えられず、「肩透かし・・・」「失望・・・」をさせられた経験は多い方です。

そう言うお店では、最も肝心な「蕎麦のレヴェル」は一番後回しにされていて・・・・まず「形」や「外見」から入っただけの「雰囲気で客を洗脳しているだけの蕎麦屋」としか思えず・・・・
むしろ、雰囲気が最重要、外見さえ整えれば「客」が入って来る・・・・と思っているようにしか考えられません。

「目に見える」事は情報として不動で、誰に対してもアピール度が高く、強い即効性があり、マスコミ等の話題にもなり易いゆえ、ついつい・・・・デザインやコンセプト等の「外見」を磨く事ばかりに専念してしまうのでしょうか。

ですが、真に美味しい蕎麦を食べたい客としては、そう言ういかにも美味しそうなのに、肝心な蕎麦には何等の感慨も覚えられないお店に何軒か続いて当たってしまいますと・・・・
「蕎麦って高くてもこの程度・・・?」と疑心暗鬼になってしまったり、もしくは「私は蕎麦の美味しさが判らない人間・・・?」と悩んだりしてしまいます。

世の中、蕎麦に限らず多くのグルメがありますが、内面から真価を放つ「本物」と、外見を整えただけの「模造品」が、常に「玉石混交」の状態で存在しているのは、経験上、誰もが実感している事でしょう。

そう言う意味で・・・・今まで、「心から美味しいと思える蕎麦に出会った事がない」、「高い店で食べても蕎麦の味の違いや真価がよく判らない」と、お嘆きの方にこそ・・・・
是非一度、こちらの「かけそば」を食べてみて欲しいと願ってやみません。

こちらのお店は、「内面から真価を放つ本物の蕎麦」を出して頂ける名店の「筆頭」の一つであると確信します。

また、もともと「蕎麦」は、砂利の多い痩せた土壌や水の利の悪い山肌の傾斜地などでも良く育つうえ、寒さにも強いことから、主食である「米」が栽培しづらい山間部や寒冷地などで、米の代用食として栽培されていた歴史があります。
そのため、「本来、高いお金を払って食べるような物ではない」とか、「元来、気取って食べるような物ではない」とか言う方も、時折、おられますが・・・・
こちらの蕎麦を食べれば、まさに「コペルニクス的転換」(それまでの価値観が180度逆になる事)に見舞われ、一気に「蕎麦の真価に開眼」されるのではないかと想像します。

また、その「米」の代用食と言うイメージから、「蕎麦は粗食」と大きな誤解をしている方もいますが、実は穀物の中で最もアミノ酸バランスが優れているのが「蕎麦」なのです。
「五訂増補食品成分表」(2007)によれば、食品中のタンパク質を評価する指標である「アミノ酸スコア」は、蕎麦粉全粒粉「100点満点」に比較し、玄米「64点」、精白米「61点」、小麦に至っては最も高い薄力粉でさえわずか「42点」に過ぎません。

しかも、米や小麦粉には「ミネラル」もあまり含まれていませんが、蕎麦粉は穀物中の「例外」とも言えるほど「ミネラル」も豊富に含んでいるのです。
蕎麦は「健康食」「健脳食」「長寿食」として、文句なく「超一流」であることを、改めてしっかりと認識すべきでしょう。

ちなみに・・・・ホールで接客をするスタッフの方達も愛想が良く、礼儀正しく、腰が低く、細かな事や客の心理にもとても良く気が付く感じです。
それでいて所作に「遊び」や気の「緩み」が微塵も感じられず、長時間の「仕込み」や、厳しい「修行」を毎日経験している人に特有の「職人魂」「真剣味」がひしひしと伝わって来る、非常に好ましいものでした。

また、たまたま、馴染みの常連客が来ていたらしく、店主の細川貴志氏も厨房からホールへ出て来られ、会話をされていました。
その横顔は、明らかに常人とは異なる熱い「オーラ」に包まれて感じられます。

近づき難い「厳めしさ」を感じさせつつも、決して日常や惰性に流される事が無い、何かを極めようとする職人に特有の「確固たる決意」に満ちた「漢の貌(かお)」です。
遠からず・・・・「蕎麦界のカリスマ」と呼ばれる日が近い事を予感させてくれます。


(すべて完食。)









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